「総領事館連携講義」で在日リトアニア大使が手厚いウクライナ支援などを語りました
2023/12/15
国際交流支援センターが企画した「総領事館連携講義」で、在日リトアニア共和国大使館のオーレリウス・ジーカス大使が12月13日、有瀬キャンパスで講義しました。ポートアイランド第1キャンパスの学生ともZoomでつなぎました。
ジーカス大使は講義に先立ち中村恵学長を表敬訪問し、国際交流担当の市川秀喜副学長、住智明大学事務局長、同センターの岡部芳彦所長を交えて懇談しました。大使は大学研究者として日本留学経験があります。第二次大戦中、ナチス・ドイツから逃れたユダヤ人に「命のビザ」を発給して亡命を助け、「東洋のシンドラー」と称されるリトアニア日本領事館領事代理の杉原千畝について研究していました。ユダヤ人たちが敦賀港を経て到着した神戸は研究で何度も訪れたことがあるといい、流ちょうな日本語で同国と日本との関係や、最近のリトアニアをめぐる情勢などについて大学幹部と意見交換しました。
学生への講義のテーマは「リトアニア:その過去と現在」でした。ヨーロッパのバルト海に面した同国は人口約270万人で大阪市とほぼ同規模。北海道とほぼ同じ広さの国土の3分の1が森林で、高い山がなく、6000の湖が点在する地理や地形の特徴をまず伝えてもらいました。通貨はユーロ。リトアニア語はインド・ヨーロッパ語族の中では「古い文法を使っていて修得がかなり困難な言語」だということでした。
■ライ麦パンこそが必需食品
国民の多くがライ麦パンをこよなく愛し、大使も最初の留学の際には「当時、日本ではライ麦パンが手に入らず、実家から送ってもらっていました」というほどです。ほかに料理で有名なのはゼッペリン(ジャガイモのもち)、ビーツとヨーグルトで作るピンクスープ。ファミリーレストラン「サイゼリア」のエスカルゴはほぼリトアニア産というのも意外でした。
歴史的には現在の国土の15倍の領地を持っていたリトアニア大公国が1392~1430年に栄華を誇りました。その後はポーランドと連合して結びつきを強めましたが、後に国は分裂。第二次大戦では旧ソビエト連邦やドイツなどの大国に占領され、苦難の時代が続きました。1990年、解体した旧ソ連邦構成国としては、最も早く独立を宣言するまでの歴史を説明してもらいました。
歴史的に結びつきが強いウクライナには軍事面を含めて手厚い支援を続けており、8万人の避難民を受け入れているとのことでした。
■ウクライナ支援は財政改善よりも重要
学生からは「ウクライナに手厚い支援を続けている理由は何ですか」と質問が出ました。大使は「両国が一つの国だった歴史が通算650年もあります。万が一、ウクライナがこの戦争に敗れたら、次(にロシアに侵攻される被害を受ける国)はどこだという危機感があります」と回答しました。
別の学生は「ウクライナに手厚く支援を続けて、(財政的に)国が困るということはないのですか」と尋ねました。大使は「国内総生産(GDP)の1.4%をウクライナ支援に充てており、これは防衛予算とほぼ同額です。侵攻後はロシアとの貿易もストップしました。かなりの規模で支援していますが、今ロシアを止めなければたいへんなことになるからです」と、支援は国の財政改善に優先するとの認識を示しました。
別の学生は「風力発電など自然エネルギーに力を入れているとのことでしたが、原子力発電はどのようになっていますか」と尋ねました。大使は、「かつては原発がありましたが、EU加盟の条件として廃炉にしました。その後、日本の企業から原子炉を買う話もありましたが、福島の事故が起きて計画はなくなりました」と答えました。