法学部主催の文化相互理解シンポジウムを開催しました
2024/12/23
法学部主催の文化相互理解シンポジウムが12月12日、ポートアイランド第1キャンパスB212教室にて開催されました。【企画・進行・文責:佐藤一進】
第27回目を迎える今回は、神戸大学大学院国際文化学研究科の井上弘貴教授を招き、「「文化戦争」の視点から考える2024年米国大統領選挙」という演題にて講演いただきました。また、本学法学部の福嶋敏明教授が討論者を務めました。井上教授は、著書『アメリカ保守主義の思想史』(青土社、2020年11月)に結実されているように、アメリカ政治思想史と現代アメリカ政治の研究だけでなく、アカデミズムとジャーナリズムの垣根を超えて、昨今のアメリカの政治現象について精力的に発言しています。
世界的な「選挙イヤー」となった2024年において、最大の目玉といってよいアメリカ大統領選挙は、元大統領D・トランプ候補の勝利に終わった。移民の排斥やアメリカ産業の保護を主張するだけでなく、選挙戦の最中に「オハイオ州スプリングフィールドの街では、ハイチ系の移民が近隣住民のペットを食べている」などとの発言を繰り出したトランプ氏の返り咲きに、わたしたちはアメリカ社会の何を見るべきなのか。社会的な分断が指摘されて久しいアメリカについて、井上教授は「文化戦争」という視点から、具体的な事例を豊富に用いながら、その実相を解説しました。
「文化戦争(Culture Wars)」とは、共和党支持者と民主党支持者の対立構図に重なる枠組みをもっており、伝統的な家族やコミュニティのかたちを重んじる、あるいは、キリスト教信仰を基礎とする「保守」と、「平等」を旨としながら同性婚や人工妊娠中絶の合法化を支持する「リベラル」との間での争いとされます。上記のトランプ氏の発言は、事実無根であるにもかかわらず、かつての産業が衰退した典型的な「ラスト・ベルト(錆びついた地帯)」にメディアと有権者の意識を向けさせるという点において、極めて効果的に功を奏したと、井上教授は分析する。産業の衰退に伴う人口減少と、人口比率における移民の増大(25%を占める)に、自分たちのコミュニティの喪失の危機を覚える人々は、捏造をも辞さない発言によって自分たちの苦境をクローズアップしつつ、寄り添ってくれるかのようなトランプ氏を支持したのです。また井上教授は、有力なファストフード店が、本来は稼ぎ期であるはずの日曜日を休業とし、安息日である日曜は家族で教会へ行って祈りを捧げることを市民に促している事例を挙げました。キリスト教バプティスト派の人々は、こうした店の利用を訴えるキャンペーンを張る一方、リベラル派に属するLGBTコミュニティは、同チェーンのいたるところの店舗前で同性愛者同士のキスをもってプロテスト(抗議)します。アメリカにおける文化戦争は、ファストフード店のように、一見すれば何気ない日常的な社会空間で展開されています。こうした現象の実相は、日本社会から容易に窺い知ることはできなかろう。今次の大統領選挙の過程と帰結を通して、アメリカの市井に生きる人々の「価値観」をかけた切実な戦いが浮かび上がってくるのです。
井上教授の講演を受けて、討論者の福嶋教授からは、1990年代から存在していた「文化戦争」の概念が、近年急速に注目されているのはなぜなのか、そこには人口動態の変遷が映し出されているのではないのか、さらに、本来きわめて多様なはずのアメリカの保守勢力の支持がなぜトランプ氏に集中するのか、などの質疑がなされました。それらの背景として井上教授は、オバマ大統領時代に一挙に加速したリベラルな価値観の伸長(「オバマ・ケア」や連邦最高裁による同性婚の合法化など)と、それに対する保守派や、いずれ遠くない時期にマイノリティになる白人層のなかで危機感を募らせる人びとからの猛反発、そして、SNSの普及などを通じてのメディアの急速な変容などを挙げました。井上教授は、アメリカの文化戦争に見られるような価値と価値の衝突を乗り越えるためには、スマートフォンとネットなどのデジタル情報をしばし遮断し、目の前にいる他者との間で、相互に理解を進めるような思考と会話を大切にしてみることではないかと示唆しました。現代アメリカの文化戦争のように、容易には解決されない価値や利害の対立について、調整や譲歩を通じてなんとか均衡を図ろうとすることこそが、政治学という知的な営みの使命ではないかとも、井上教授は問いかけました。さらに、フロアの学生からも鋭く、興味深い質問が投げかけられ、井上教授が真摯に応答することで、90分という時間が短く感じられるほど、濃密で盛況なシンポジウムとなりました。