被災地支援活動
令和6年能登半島地震 被災地支援学生ボランティア 第3クール
日時 | 2024年6月28日(金)~30日(日) | |
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場所 | 石川県穴水町・能登町・珠洲市被災地 | |
主催 | 神戸学院大学 災害支援対策本部会議 | |
協力 | (株)ぶなの森、朝日新聞厚生文化事業団、神戸学院大学教育後援会、神戸学院大学同窓会 | |
参加者 | 学生8人、引率2人 計10人 学生所属:法学部3人、経済学部1人、現代社会学部2人、心理学部1人、栄養学部1人 引率所属:現代社会学部1人、学生支援グループ(ボランティア活動支援室)1人 |
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交通 | 大阪駅~金沢駅 JR特急&北陸新幹線、現地マイクロバス移動 |
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宿泊先 | 6/28 ホテルマイステイズ金沢キャッスル(金沢市) 6/29 セミナーハウス山びこ(能登町) |
行程
6月28日(金)
時間 | 内容 |
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18:20 | 大阪駅集合 |
18:42 | 大阪駅発 サンダーバード43号 |
20:07 | 敦賀駅着 |
20:22 | 敦賀駅発 北陸新幹線つるぎ44号 |
21:06 | 金沢駅着 |
21:30 | 金沢駅徒歩圏の宿泊施設で宿泊(夕食、翌日の打合せ) |
6月29日(土)*現地はマイクロバスで移動
時間 | 内容 |
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09:00 | 宿泊所出発 |
11:00 | 穴水町到着 お菓子工房Hanon訪問(穴水町大町)、周辺視察 |
12:00 | 昼食(現地の飲食店) |
13:00 | 穴水町を出発 |
14:30 | 能登町到着 横井商店訪問(能登町松波)、周辺視察 |
16:30 | 能登町を出発 |
17:30 | 宿泊施設セミナーハウス山びこ(能登町)到着 翌日の打合せ、就寝 |
6月30日(日)
時間 | 内容 |
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08:20 | 宿泊所出発 |
09:00 | 珠洲市 農業生産法人すえひろ(珠洲市若山町)でボランティア活動 能登大納言小豆の選別作業 ほか(昼食は地元のお店で弁当を手配) |
13:30 | 出発 |
14:00 | 本町ステーション(コミュニティスペース) 避難所見学(珠洲市宝立町鵜飼) お話:宮口智美さん(見附島観光協会、宝立小中学校避難所炊き出しリーダー) |
15:00 | 珠洲市出発 |
19:00 | 金沢駅到着、夕食 |
19:57 | 金沢駅発 北陸新幹線かがやき513号 |
20:38 | 敦賀駅着 |
21:08 | 敦賀駅発 サンダーバード48号 |
22:31 | 大阪駅着 解散 |
活動の様子
【6/29 穴水町】
【6/29 能登町】
【6/30 珠洲市若山町】
【6/30 避難所(小学校)の視察】
【2泊3日の活動を終えて帰宅へ】
参加学生の学び、意見 *事後アンケートから一部抜粋
【活動して感じたこと、意見】
- 災害時や避難所での知識はあっても、実際に起きた時に行動できるかは別物であると感じた。
- 地域ごとに復興状況に差があり、半年経ってもあまり変わっていない場所もある。復興が現在進行形で行われていると学んだ。
- 学生スタッフとして神戸で被災地応援物産展を行う以外にも、自分にできることがあると感じた。
- 実際に被害状況を自分の目で見ることで被災地が直面している困難を身に染みて感じた。
- 一方的に支援し続けることが被災者、被災地にとって必ずしもいいとは限らないこと。支援の内容、時期、期間などをニーズに合わせて変化すべきだと感じた。
- 避難所の生活において、被災者同士のコミュニケーションがとても難しいことが分かった。
- 交流イベントなどを一緒に考える。住民の方が交流できるような憩いの場をつくる必要があると感じた。
- 被災地の品物を買うことはできるが、そもそも生産する人が足りていないということを知り、従業員を確保することも時間がかかるため、被災地の復興以上に時間がかかると感じた。
- 避難所の炊き出しについて、調理や給食の知識があっても、限られた物で調理したり、人員を確保したり、人を動かしたりするのは困難だと思った。
- 地震によって環境は変わってしまったが、それをきっかけととらえて、前向きに次に向かおうとしておられる方にお会いできた。その方々の思いを神戸で発信していくことが大切だと感じた。
- 高齢者が多く、過疎化しているため、若者が案を出し、発信していくことが必要であると感じた。
- お互いの事をよく理解した上で活動をしないと、本当の支えにならない。
- 憶測でしかなかった被災地の現状が、実際に行くことで現実味を帯びた。被災者の方からの話を聞くことによって苦しさの背景を知ることが出来た。
- 直近でできることも必要だと感じたが、もっと長い目で見て長期的に支援ができる関係性を築くことがまずは必要であると感じた。
【ヒヤリングした被災者の言葉】
- 穴水町のお菓子工房Hanon店長さんに「被災してもここに居続けるのはなぜか」と伺った。「ここを離れるという選択肢はなかった。ここが好きだから」とおっしゃっていた。また、被災の中で、お菓子を作る想いを伺ったところ、「避難所で『お仕事は何をしていたの?』と聞かれ、ケーキ屋ですと言ったら、『また食べたい』と言われたのがきっかけ」と言っておられて、誰かの思いでお店をたてなおし、ここまで来られていることを知った。
- 津波被害が甚大な珠洲市の宮口さん(被災者であり、復興リーダー)がおっしゃっていた「何でもしてもらってばかりでは人間としてどうにかなってしまいそうで怖い」という言葉が印象に残った。私達ボランティアは助けるということではなく、あくまでお手伝いであることを忘れないようにして活動しようと感じた。