神戸学院大学

被災地支援活動

東日本大震災東北被災地スタディツアー2023

日時 2023年9月8日~10日(2泊3日)
場所 宮城県名取市・石巻市・女川町、福島県双葉町
主催 神戸学院大学災害支援対策本部会議(本部長=学長)
担当 学生支援センター(ボランティア活動支援室)
協力 3.11メモリアルネットワーク、名取市閖上復興住宅自治会、本学卒業生(現地在住者)ほか

1. 活動先

9/8 宮城県石巻市門脇地区(沿岸部)、震災遺構・大川小学校
9/9 女川町震災遺構、名取市閖上地区(沿岸部)
9/10 東日本大震災原子力災害伝承館(福島県双葉町)

2. 参加者

学生7人(法2、心理2、現代社会1、グローバル・コミュニケーション1、栄養1)
引率1人(ボランティア活動支援室職員)

3.交通

神戸空港~仙台空港、自動車で現地移動

4.宿泊先

9/8 旅館とちぎ(石巻市)、9/9 丸三旅館(福島県相馬市)

仙台へはスカイマーク便を使用
空港で打合せや事後振り返り
石巻で活動の際はいつもお世話になっている旅館

5.行程

  • 事前学習8/25・29
  • 最終打合せ9/4

9月8日(金):石巻の復興を学ぶ

時間 内容 場所 備考
06:30 神戸空港集合
点呼、搭乗手続き
ポートライナー改札出口
神戸空港
07:45 神戸空港出発 *朝食
09:05 仙台空港到着 仙台空港
09:30 視察先へ移動 名取IC~石巻河南IC
12:00 石巻駅周辺で昼食休憩 石巻駅周辺 *昼食
13:00~15:00 【視察①】3.11メモリアルネットワーク
・石巻被災者語り部
・沿岸部まちあるき
伝承交流施設MEET門脇 2階会議室(門脇超5丁目1-1)
16:00~17:00 【視察②】
震災遺構・大川小学校
大川震災伝承館(無料)
震災遺構・大川小学校
18:00 宿泊施設到着
翌日打合せ
夕食、お風呂、就寝
旅館とちぎ *夕食

9月9日(土):名取の復興を学ぶ

時間 内容 場所 備考
朝の支度 *朝食
09:00 石巻を出発→女川へ移動
09:30 【視察③】
震災遺構・旧女川交番
シーパルピア女川
牡鹿郡女川町海岸通り(海岸広場内) *昼食
12:30 移動 石巻女川IC~名取IC
14:00 【視察④】
名取閖上地区復興住宅
震災伝承館 ほか
名取市閖上地区(集合)閖上中央集会所
17:00 移動 名取IC~新地IC
18:00 宿泊施設到着
翌日打合せ
夕食、お風呂、就寝
丸三旅館(相馬市) *夕食

9月10日(日):原子力災害を学ぶ

時間 内容 場所 備考
朝の支度 *朝食
09:00 宿舎を出発
10:00 【視察⑤】東日本大震災・原子力災害伝承館
・語り部 11:30~12:10
・施設見学
原子力災害伝承館
福島県双葉町中野
*昼食
15:00 福島を出発 常磐双葉IC~仙台空港IC
17:00 仙台空港到着
搭乗手続き
仙台空港
19:20 仙台空港出発 仙台空港
20:45 神戸空港到着
解散
神戸空港

7.活動報告

9/8(金)

○宮城県石巻市門脇地区(沿岸部)
3.11メモリアルネットワークのプログラムとして、語り部さんの震災体験を聞いた。
2011年発災当時は門脇小学校6年生だった女性で、地震発生から約1時間後に津波が押し寄せてきた恐怖の体験や学校から学校裏の日和山への避難、避難所への移動、ばらばらになった家族との再会などお話をいただいた。現在は地元の子どもの施設で働きながら、リモートで20代、30代の被災者の会を開催するなど活躍されている。
3.11メモリアルネットワークは、発災直後の避難者の行動を時系列でデータ化したり、タブレットで災害前と災害後の様子を視覚的に閲覧しながらの街歩きを実施したり、さまざまな防災プログラムを実施している。

語り部さんの話を聞く学生
展示資料を閲覧

○震災遺構・大川小学校(石巻市)
大震災後の津波により児童74人、教員10人が亡くなった。海からは3.7km内陸に位置しており、津波は到達しないと思われていたが、大津波は川を遡上し、大川小を襲った。小学校は震災遺構としてそのままの状態で保存され、隣接する大川震災伝承館は、校舎内の様子を見ることができる「バーチャル校舎見学」や、震災前の地域との関わり、地域の方々の思い、事故の経緯や裁判についてなど、詳しく紹介されている。

引用;石巻市震災遺構 大川小学校 – 災害メモリアルに学び、描く未来 (miyakyo-u.ac.jp)
裏山から震災遺構・大川小学校
視察する学生
隣接する大川震災伝承館
展示を見る学生

9/9(土)

〇宮城県牡鹿郡女川町
最大14.8mの津波が襲った女川町は、死者・行方不明者は827人にのぼり、町の住宅の約9割にあたる約3,900棟が被害を受けた。震災遺構として倒壊した旧交番が残されている。
視察当日は、東北被災地に移住して仕事をしているOG(女川町)、OB(岩手県大船渡市)が駆けつけ、現役時代の活動のこと、現在の復興状況などを説明してくれた。

女川町震災遺構(旧交番)
就職で東北に移住した本学OBが駆けつけてくれた
〇名取市閖上地区(沿岸部)
甚大な被害のあった名取市閖上地区は、2011年夏から本学学生が活動をしていた仮設住宅「箱塚屋敷」で避難生活をされていた被災者の居住地域である。仮設解消後、復興住宅移転や自力再建で閖上に戻ってこられた方、他の地域へ移られた方がおられる。閖上で暮らす4人の方に出迎えていただき、発災直後の被災体験や復興の状況などお話いただいた。自治会長の案内で復興住宅屋上から沿岸部を俯瞰し、その後、震災伝承館、名取トレイルセンターなど案内いただいた。
集会所で被災体験を聞く学生
復興住宅屋上から被災地を俯瞰
名取市震災復興伝承館へ
震災前の街並みを学ぶ

9/10(日)

〇東日本大震災・原子力災害伝承館(福島県双葉町)
原子力災害伝承館は、未曽有の複合災害(地震、津波、原子力事故)について福島で何が起き、どう向き合ってきたかを伝え、防災・減災に向けた教訓を伝えることを目的としている。
放射能という見えない脅威から避難する難しさ、情報の伝達がなく混乱する被災者、渋滞する道路、残された福祉施設の入所者、残るか避難するかを葛藤する被災者の心情など、語り部さんの話は生々しく、胸に迫るものがあった。現在も、「処理水」の廃棄、海産物の風評被害など問題は山積みである。

福島県双葉町の原子力災害伝承館
膨大な展示資料、動画を閲覧
円形の壁に時系列に被災状況が展示
語り部さんの話を聞いた
原子力発電所関連の展示物
各所に放射能測定器が設置

学生の気づきや学びなど *事後アンケートから一部抜粋

(1)現地の方から聞いたこと

  • まさかあんなに大きな津波が来て、あんなに被害が出るなんて思ってはいなかった。
  • 話すことが平気だから語り部活動をしているわけではない。いまもPTSDに悩まされている。
  • この12年間、海を見ることができなくなってしまった。
  • 当時4歳だった子どもが「福島の子には近づくな」といじめを受けた。引っ越しの判断が正しかったのか疑問に思った。その判断をした自分を責め続けるだろう。
  • 復興住宅の管理は高齢の住民がしており負担が大きい。
  • 発災直後、避難所に行ったが、ご遺体が並べられており、家族を失っていなかった自分は心情的に入ることができなかった。
  • 子どもたちの帰りを待って避難しなかった高齢者が多く亡くなっている。
  • 小学校の先生は、山に避難させて怪我をさせてはいけないと躊躇した。
  • 復興は進んでいるように見えるが、以前のようなコミュニティは失われている。

(2)学んだこと

  • 福島の被災の現実は、想像以上に残酷であった。
  • 勝手な思い込みで判断してはならない。自分の体験を大切にしなくてはならない。
  • 今の東北を伝える活動が必要だ。
  • 震災体験のない自分が伝えていくには、たくさんの知識を学び、被災者のことを想像し、考えることが必要だと感じた。
  • 語り部さんの言葉や気持ちを引き継ぐような「第二の語り部」としてのボランティア活動が必要。
  • 人のつながりを復興させることは難しい。
  • 普段生活している中で被災者のことを考えることがあまりなかった。今回参加して被災者の大変さ、深刻さをより深く学んだ。日常で私たちができることは何かを考えるきっかけとなった。
  • 復興地は土地がまっさらで生活の賑わいを取り戻すには長い年月がかかる。
  • 災害を防ぐことはできないが、人災は減らせると思った。
  • 現地とマスコミが伝えることのギャップに混乱した。
  • 単純に元に戻すことが復興ではないと思った。今後の災害のために変わらないといけないことがある。しかし、すべて変えてはふるさとではなくなる。気持ちに寄り添うことが大切だと痛感した。
  • 移動中、車内から福島の街を見たが、車通りがほぼない場所や倒壊している家屋がたくさんあった。
  • 思っていたより前向きな方が多かった。多くの人に震災のことを伝えたいという意思を感じた。