被災地支援活動
東北復興スタディツアー
目的 | 東北の復旧・復興を学ぶ学習プログラム |
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日程 | 2019年9月7日(土)~8日(日) 1泊2日 |
活動先 | 宮城県石巻市、津波被災地他 |
派遣者 | 学生10人(一般公募学生7人、ボランティア活動支援室学生スタッフ3人)、引率1人 |
スケジュール
9月7日(土)
時間 | 内容 |
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06:30 | 神戸空港集合 |
07:20 | 神戸空港出発(SKY152便) |
08:40 | 仙台空港到着 |
09:39 | 仙台空港アクセス線 仙台空港駅発 |
10:18 | 仙台駅発 JR東北本線快速 石巻行 | 11:16 | 石巻駅着 |
11:30 | 昼食 |
13:00 | 語り部さんの話を伺う@3.11みらいサポート 語り部:安部仁氏 (津波発生後自宅に閉じ込められ、9日後に救出。その体験について) ガイドの案内でタブレットを使用しながら沿岸部街あるき 震災伝承スペース「つなぐ館」(石巻市中央2丁目8-2) |
15:30 | 終了 |
15:54 | 石巻駅発 JR仙石東北ライン快速 |
16:48 | 仙台駅着 |
17:30 | 夕食 |
18:34 | 仙台駅発 空港アクセス線 |
18:48 | 名取駅着 |
19:00 | 宿泊施設に移動(タクシー) |
19:30 | ロビーで翌日の打合せ |
感謝の気持ちをお菓子に込めて
9月8日(日)
時間 | 内容 | 備考 |
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09:20 | 宿泊施設チェックアウト、マイクロバスで出発 | |
10:00 | 閖上中央集会所到着 活動でお世話になった箱塚屋敷仮設住宅の元役員玉田さん、安倍会長、近藤さんからお話を伺う |
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10:30 | 閖上地区を元役員の皆さんの案内で視察 ゆりあげかわまちテラス、名取市閖上小・中学校、震災メモリアル公園(日和山、祈りの広場他)、名取トレイルセンター、ゆりあげ港朝市メイプル館 他 |
名取市閖上小学校
震災メモリアル公園 名取トレイルセンター 「みちのく潮風トレイル」を歩く上で必要な情報や、「ロングトレイル」と「歩く文化」を発信する施設。トレイルを歩くハイカーや地域住民、観光で来館された方々がくつろぎ、交流できる空間を提供している。「みちのく潮風トレイル」は青森県八戸市から福島県相馬市までの4県28市町村をつなぐ、全長1,000キロを超えるロングトレイルである。2019年4月にオープンし、6月に全線開通した真新しいルーツである。「東日本大震災からの復興」を契機とし、環境省を中心に、関係自治体、NPO団体などとの協同により設定された。 |
12:00 | ゆりあげ港朝市 メイプル館着 昼食 | ゆりあげ港朝市 メイプル館 カナダ連邦政府などの支援により建設された施設で、カナダ産の木材を使用した建物内には、名取の美味しいものが食べられる店舗が入っている。また、特産品・復興グッズなどの販売や震災前後の写真の展示がされている。閖上港朝市の隣にある。 |
12:50 | メイプル館出発 閖上中央第2団地で役員のみなさんとお別れ |
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13:30 | せんだい3.11メモリアル交流館見学 | |
15:00 | 震災遺構仙台市立荒浜小学校見学 | |
16:00 | 荒浜観音 慰霊碑参拝 | |
16:40 | 仙台空港到着 空港で事後研修会(視察の成果確認、報告書分担など) |
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19:25 | 仙台空港出発(SKY157便) | |
20:50 | 神戸空港着、解散 | |
各プログラム詳細
3.11みらいサポート 語り部 安部仁さんのお話
- 阿部さんは東日本大震災当時高校生で、津波に流された家の中で9日間生活し、「奇跡の生還」とメディアに報道された。「避難さえしていればみんなに迷惑をかけることなく、あんな事態にならなかった」と、自分の体験を失敗談として話していたことに驚いた。
- 実際に阿部さんは世間に注目されるのが嫌だったようで、「避難しなかった自分が、あたかも被災者代表のようにとりあげられ、特別扱いされるのはおかしい、恥ずかしい」と語っていた。
- 怪我したり、凍傷になったりと発見時はかなりの重症だったようだが避難生活をしていた家には食料がほどほどにあり、自分の思っていた被災生活のイメージとは異なっていた。
- 阿部さんが被災生活を送っていた家は、震災前に建っていたところから200mほど流されていたが、阿部さん自身は気付いておらず、家族が救助に来ても、家があるはずのところには何もない状況になり、救助が遅れた。
- 「被災者」といっても、大切なものを失った人もいれば、失わなかった人もいる。津波に流される家や車、人を見た人もいれば、津波を見なかった人もいる。震災当時に体験したことは人それぞれだと阿部さんは語った。最後に阿部さんは「暗い話をする人ばかりじゃない。ぜひ明るい話を聞いてほしい」と話した。
学生の感想
- 同じ地震で被災しても、住んでいる場所や環境が違うと被災の仕方は大きく変わると感じた。
- 復興はまだまだこれからだと感じた。
元箱塚屋敷仮設住宅役員 玉田さんのお話と閖上沿岸部案内
閖上第一団地集会所で、震災直後から津波がくるまで、仮設住宅での生活の話を伺った。地震が起こり、中学校へ車で避難した。津波がきたとしても貞山堀を超えて避難所まではこないと踏んでいた。しかし予想とは異なり、津波がそばまで迫ってきたため学校の上階に避難した。
津波が起きた日、幹線道路の橋の上でトレーラーが事故を起こし、通行止めになっているなどさまざまな要因が重なった。車で避難しようとしていた人は、車は財産だからそれを捨てるというのは勇気がいるのか、渋滞の列に並び続け津波にのまれてしまった人もいた。昔から貞山堀から上には津波は来ないという認識があったので、みんなの心の中に油断があったのかもしれない。
震災から2か月ほどたった5月からは箱塚屋敷仮設住宅への入居が始まった。引きこもりがちな高齢者や、学校や遊び場を失った子供たちの元気を取り戻そうと、住民自身が積極的に取り組んだ。
学生の感想
- まだまだ復興途中であって、これから活性化していく可能性が感じられる地域が多いなと感じた。
- 今回伺った被災した方々の話は暗い話ばかりではなく、復興のために頑張っているという未来へ希望をお話ししてくださった。閖上地区は津波の被害が特に大きかった場所であり、海辺に近く危険な場所であるのに震災前と変わらない街並みを再建することに疑問を抱いていた。しかし地元の人達の復興への道を示すことになるので、大きな意味があったと分かった。
- 閖上地区は未だ区画整理や土盛りの最中という印象が強かった。高台から見れば、復興住宅と建物がちらほらという状況であった。しかし現地の人によれば、2年ほど前と比べれば建物が相当増えてきているということであり、区画整理後の一軒家は建築され次第、入居しているとわかった。そして現在の閖上では小中学校や、工場、飲食店が普及しており、復興が進んでいると感じた。
- 東日本大震災については、メディアを通してしか見たことがなかったため、現在の東北がどうなっているのか、また当時はどのような状況だったのかがあまり想像できなかったが、玉田さんをはじめ、さまざまな人から東日本大震災について学ぶことができた。
- 震災当時は津波の被害について対策していなかったことが反省点として挙げられていたが、現在では、堤防を高くしたり、津波避難ビルなどが建っていたり、さまざまな対策がされていると知った。これから更地だった所がどんどん復興にむけて、開拓されていくことが楽しみである。
せんだいメモリアル交流館
1階の壁面に、宮城の地震・津波によって被害にあった地域の模型がはめられていて、立体的に再現されていた。この地図やスライドを見ながら、語り部さんが被害に遭った地域の特徴などを話された。2階には壁一面に震災当時の写真が展示してあり、特に重要な出来事について語り部さんに話していただいた。
学生の感想
- 語り部さんたちは、暗い顔で当時のことを話すことなく明るい顔で私たちに話をしていた。これから前を向いていこうというような雰囲気を感じた。実際に現地を訪れて、報道ではもうなかなか報じられなくなったが復興はまだまだ途中段階だと感じた。自分にもできることがあれば、小さなことでもやりたいと強く思った。貴重な体験をした自分たちは、現状をしっかりと伝える役割を果たして行きたいと思う。
- 私はこのボランティアで語り部さん一人ひとりのお話を聞き仙台を訪れ、約9年たった今でも仮設住宅に住む方や昔自分たちが住んでいた場所で暮らすことができないと知り衝撃を受けた。そんな中でも誰ひとり悲しい顔をせず笑顔で話していたのが印象的だった。また、何十キロも離れたスーパーにも自転車で30分以上かけていくともおっしゃっていて、今私たちが何気なく一日一日を暮らせていることや、一番大切なことは命であるということをこのボランティアで強く感じた。これからも、現地を訪れた私たちがたくさんしなければならないことがあるのだと思った。このボランティアで学んだことをこれからの人生でも生かしていきたいと思う。
荒浜小学校
荒浜小学校は東日本大震災により、合計320人が避難し、全員が救出された小学校であり、建物はほとんどが当時のままで震災遺構として残っている。荒浜小学校に着いた時の印象は鉄の柵がまるで粘土のように複雑に曲がっていて、自然の力は凄まじいと感じた。中に入ると被災当時のまま時が止まった教室が残されていた。床は剥がれ、壁や天井は茶色に濁っていた。2階に上がると、床上30㎝のところに津波の到達点を示す茶色の線があった。荒浜小学校には4.6mの波が押し寄せた。1階は天井まで浸水し、海岸線にあった松の木や、瓦礫、車で埋まった廊下や教室の写真を見ると津波の恐ろしさを改めて感じることができた。お話では、一旦小学校に避難してきたが津波は来ないだろうと家に帰った人が、津波で犠牲になったということだった。災害が起きた時には、絶対の安全はないと思うことが命を守ることにつながると学べた。
学生の感想
- 東北復興スタディツアーに参加して、今まではニュースでしか東北の状況を知らず、どのくらい復興しているかわからなかった。しかし、実際に行ってみると想像以上に復興作業は進んでいたが、荒浜などの場所は人が住めなくなっており、荒浜小学校での話を聞いて悲惨さを痛感した。震災では津波の被害などの他に、被災者たちの孤独死のような問題もあることを知った。私も大阪で1年前に地震があり、それまであまり地震の恐怖を抱いたことがなかったけれど、スタディーツアーで学んだことを生かしていきたい。
- 今回の荒浜小学校訪問で、何よりも実際に足を運んで、自分の目で確認しないと津波の本当の怖さを知ることができないと感じた。特に印象に残っているのは校舎の壁にたくさんのものがぶつかってできたであろう生々しい跡である。この後を実際に見ることで、津波の本当の高さや強さ、勢いを知ることができたと思う。また、当時、子供たちは比較的楽観的だったが、先生はもうここで自分は死ぬと誰もが思っていながらも、子供たちを屋上で丸く囲んで、できるだけ津波が見えないようにして怖がらせないようにしていたという話を聞き、頭の中に当時のそのやり取りや情景が浮かび、全身がゾッとするような感覚を覚えた。このことから、私は今回の経験を決して忘れず、南海トラフ巨大地震のような自然災害にしっかりと備えたいと強く心に決めた。
- 今回の経験を生かして、巨大地震が起こったとしても、人ごとのように考えず、自分自身に被害が及ぶことを考え、いち早く避難することが大事であると学んだ。
- 活動自体の反省としては、津波の高さを表す石像などがあることを見逃してしまったりしたので、事前に現地のことを調べるべきだと思った。
全体を通しての気づき、学び
- いろいろな方から話を伺い、まちの復興、人の心の復興など学ぶことが多かった。行政職を目指しているので、その夢がかなったときに、今回の経験と学びを生かしていきたい。
- 被災者を一括りにしてはいけないと学んだ。一人ひとり考えが違う。一方で、住民同士のつながりが強いと感じた。
- 語り部の安倍さんが、自分のようになってほしくないと言っていた。しっかり災害への対策をして、避難するということが大事だと分かった。そしてそのことを自分に言い聞かせ、周りの人にも伝えようと思った。
- 今回伺った現地の方々の多くの人が、震災当時の悲惨さを語り次ぐということも大切であるが、それと同じくらい復興の現状や被災地の魅力を伝えようとしていたと思う。つまり、今からどう復興するかという点に焦点を当てているように感じられた。当然復興の語り継ぎや防災という観点は非常に重要であるものの、現実的にどう生活基盤を作るか、またどう観光客を呼び込むという問題も同じくらい重要であると気付いた。そういった面で、今回のスタディツアーは、震災の勉強と同じくらい地域の復興についての勉強会という印象が強かった。
- 初めて東北復興スタディツアーに参加したが、そこで東日本大震災の課題について考えさせられた。東日本大震災では、津波による死者がほとんどであったが、ここまではこないであろうという油断が被災者を増やしてしまったということが分かった。そして、今回東北に行って、震災直後に比べたら落ち着いている様子であったが、更地が多いという印象を受けた。これから病院やスーパーなどは建っていく予定だと聞いたが、それでも買い物弱者の方も多く、被災前に比べてまだ住みづらい状況であり、「社会的復興」が進んでいないということが印象に残った。もっと東北の復興支援に協力したいということ、今回の経験を神戸の人に伝えていきたいということ、これから起こるかもしれない災害に備えること、参加してこれらのことを強く考えさせられた。
以上