神戸学院女子短期大学の閉校・神戸学院大学附属高等学校の発足
大学との密接な連携を見据えた高等学校の附属化
他校にも影響を与えた先進的な教育ビジョン
倉田 約10年間神戸学院女子短期大学を預かりましたが、その後半は、全国的に短期大学への入学者数が減少してきたこともあり、法人全体としても経営の健全化を考え、短期大学の定員を大学に振り替えて、大学に新たな学部を創設し、法人全体の発展的改組として生まれ変わることになりました。苦しい決断でしたが50年の歴史に幕を閉じたのです。
溝口 いや、倉田先生のおかげで短大が無事に閉校できまして、本当にありがたいことでした。
倉田 時代の流れですかね。女子の場合、特に地方からの学生が4年制大学に入学すると学費や生活費の負担が大変だったことでしょう。逆に、短期大学卒業生が企業から歓迎された時代がありましたので、その頃は人気がありましたね。
溝口 日本全体が豊かになって、女子でも2年間の短大では物足りないという風潮になってきたということがありますね。
倉田 私が学長のときに幕を下ろしましたが、実は、今も森茂樹先生には申し訳ない気持ちがあります。それは、森先生が「神戸学院大学ができたのは短大が母体となっていたからです。高校だけだったら大学はできなかったですよ」とおっしゃっていた言葉を思い出すからです。なお、これまで何度も口にしてきましたが卒業生の皆さんには本当に申し訳なく思っています。
溝口 最終的には、短大をどうするかということで委員会ができまして、さまざまな議論があったんですが、短大の入学定員は貴重な財産だと。これを大学に移し、その上で大学を改組して発展させようという戦略を立てたんですね。
大学とのつながりをより緊密に
司会 次に2001年(平成13年)の神戸学院大学附属高等学校の発足と、男女共学化のお話ですが、これは大学の改組とも密接な関わりがあります。それでは、八田校長から、高等学校の附属化についてお話を伺いたいと思います。
八田 高校は高校で、やはり生徒数の大幅な増減ということがありました。ある時期、バーっと志願数が増えて、収容しきれないぐらいの生徒が集まるという時代もあったんですが、その後はまた次第に生徒数が減るという状況がありました。少子化の影響が大きいわけですが、将来を見据えた中長期の戦略を立てなければならないということで、大学とより密に結びついて、高校と大学が連携した教育を打ち立てようと考えました。そうしたことを検討するため、高校には改革資金がなかったので、大学を中心とした改革グループができたんです。大学の先生や職員、短大の先生、そして高校の教員の三者が集まり、どういう高校にしていこうかということを議論したわけです。
その中で、一番大きな柱になったのが、附属化ということです。従来よりも大学とのつながりを緊密にしようということでした。それにつきまして、当法人は女子教育から始まっているわけですけれど、大学は男女共学でスタートしていますので、高校と大学のパイプを太くするうえでも、高校も男女共学にしようと。それと、施設面の改革も必要ということで、これは現在も課題となっておりますが、この三つが大きな目標と定められました。
スタートして、11年目を迎えるわけですが、あの当時の高校教育としては斬新なカリキュラムだったと思います。情報教育にしても、いまでこそ各家庭にパソコンがありますが、それほど普及していなかったあの当時、大学並みのパソコンの配備といいますか、今でもそうですが、1人1台のノートパソコンを持たせていました。また、大学との連携という点でも、いまは公立でもそういう取り組みをされるところが出てきていますが、11年前ですと、高校と大学が連携して教育にあたるというようなことはない時代でした。あの当時私たちが打ち立てた教育ビジョンは、その後兵庫県の私学では結構マネをされるというか、少し形を変えて使われるということがあります。現在の附属高校の状況は、それをさらに完成度を高めていこうということでやっています。ただ、兵庫県では公立高校との競争がまた厳しい状況でして、いろんな施策が発表されておりますが、たとえば授業料無償化の話でも大阪とは違った状況がありますし、学区制もまた、いきなり五つのブロックにするというようなことで。兵庫県として私学をどう考えているのかというあたりについて、真剣に考えなければならないようです。
溝口 さっきのパソコンの話ですが、高校は全国の入力コンクールで毎年のように優勝しているんですね。4年連続全国優勝ですか。
八田 毎日パソコン入力コンクールですね。これは2011年(平成23年)も最優秀学校賞を獲得しまして、5年連続になりました。