人前で堂々と話せる
私になるなんて、
入学当時は想像していなかった。
現代社会学部 4年次生 ※2021年取材時 佐藤 菜都さん
防災の概念が覆った、
防災女子との出合い。
防災女子に所属して3年以上が過ぎた。思い返せば1年次の私は積極的でもなければ、周りを引っ張っていく性格でもなかった。イベントでは先輩についていくだけで精一杯。この時は、3年後に自分でシナリオを組み立てて、大勢の人の前で堂々と喋れるようになるなんて考えられなかったし、まさか、防災女子のリーダーを務めるなんて思いもしなかった。私がこんなにも成長できたのは、防災女子で経験を積んだおかげだ。仙台など日本全国のイベントに参加したり、ラジオ番組に出演したり。防災について自分の言葉で伝える日々。防災女子に所属したから出会えた人たちや積めた経験は何ものにも代えがたい宝物になったと、今になって思う。そんな経験の中で、特に印象的だったのがイオン神戸umie店でのポリ袋調理の試食会。一人の女性に声をかけられた。「子どもが美味しいってこのオムレツを食べたの。だからレシピを教えてくれる?」災害時でも、災害時だからこそ、簡単でおいしく栄養が取れる食の提案。私たちが目指していたことが出来ていると感じた瞬間だった。こういうことをキッカケにして防災に興味を持ってもらう。それが私たち防災女子の役割だとも思った。その日から、「身近に感じてもらうための防災」を意識し始めた気がする。「どんな料理なら家でも簡単に作ってもらえるかな」「災害時でも笑顔にできるかな」自分で考えて、どう伝えればもっと防災の魅力が届くのかを考える私になれてなかったら、今頃リーダーになる未来なんて特にありえなかっただろうな。
防災女子で高まったのは、
「話す力」だけじゃなかった。
私がリーダーになったのは、2021年。 2020年から続くコロナ禍は収束する気配はないし、大学でメンバーと集まれない。コミュニケーションも思うように取れない。今まで普通に行えていたことが出来ない現実に困惑させられっぱなしだった。それでも防災女子の活動を止めたくはなかった。2013年に創設されてから、歴代のメンバーたちの思いがバトンのようにつながり今の私たちの活動があるからこそ。先の読めない活動の中で、メンバーの不安を少しでも和らげたい。直接会えなくても、リーダーとしてサポートできることがあると思った。そのためにオンラインミーティングを実施した。メンバーと会えなくても、メンバーのためにと考える時間がリーダーとしての自覚を芽生えさせてくれた。振り返って、そんなことを思う。もし、防災女子に所属していなかったら、成長した今の私はなかっただろう。人前で喋ることが苦手な私や事前に用意された原稿をただ読むことしかできなかった私のままだった気がする。多い時は月2~3回もイベントに参加して、たくさんの人に防災の知識を伝える中で確実に「話す力」や「状況に応じて話す力」が身についてきた。それにリーダーとしての経験は視野を広げることもできた。「あまり参加できていないメンバーがいる」や「リーダーとしてフォローしないと」など、防災女子は防災知識を身につけるだけではなく、人としても成長させてくれたと感じている。
佐藤 菜都さんの
- 防災を身近に感じてもらう活動、それが防災女子だった。
- 「話す力」や「広い視野」は防災女子だからこそ身についた。
消極的だった私が
たくさんの人に防災知識を届けるために、
自ら行動できるようになった。
現代社会学部 3年次生 ※2021年取材時 大西 佑奈さん
私にとって防災を学ぶことは、
地元を救う手段だった
私にとって地元愛媛を思う気持ちが志望動機になった。高校時代のあの日、テレビで南海トラフの特集を見なかったら。愛媛にも被害が及ぶかもしれないと知らなかったら。私は神戸学院大学には進学していなかったと思う。「神戸学院大学でなら専門的に防災が学べる」「防災を学ぶことはいつか、地元を救うことにつながる」と思えた。今でも時々、不思議な気持ちになる。進路を考えるまでは、愛媛を出るなんて選択肢になかった私が今、神戸にいる。本当に人生って何が転機になるかわからない。そんな私が防災女子に惹かれたのはネーミングが絶妙的だったから。だって、「女子力で防災を考える」なんて興味を持つに決まっている。正直に言うと、所属した当初は活動内容をしっかりと理解していたわけではなかった。それでも好奇心旺盛な私は頻繁にイベントに参加すると、先輩の横を陣取って、お客さんへの接し方や話し方を吸収するのに必死だった。難しいこともわかりやすく説明する先輩の姿が魅力的で引き込まれていったし、私も防災を分かりやすく伝えられるようになりたくて。いつしか、防災女子の活動にのめり込む私がいた。地元のために学び始めた防災が、もっと多くの人へ届けたい防災に変わっていた。防災女子はフレーズだけじゃなくて、活動自体も人の心を惹きつけるものだった。
成長を語れること自体、
私の成長だと思う。
「防災女子での一番の成長は何なのかな」と考えて浮かぶのは愛媛への強い思いだった。地元を離れたからこそ気づけたことも多い。家族や友達だけじゃなくて、普段何気なく通っていた町や場所。誰かに頼まれたわけじゃないけれど、その全てを守ることが防災を学んできた私の使命なんじゃないかと今は感じている。だから卒業後は、愛媛で防災知識を届ける人になりたい。「こんなことから防災って始められるんだ」と私が防災女子で気づけたように、誰かの防災意識を生み出すきっかけを作れたら。そんな風に思えている。そして、もちろん他にも成長したところはたくさんある。参加したイベントでは、質問された内容に加えて、詳しい防災知識を織り交ぜて説明するように努めたし、子どもにはなるべく噛み砕いて話すように意識した。これまでは人前に立つタイプではなかったけれど今では後輩に率先してアドバイスをすることもある。 あと、元々料理が苦手な私だけれど、防災食なら誰にも頼らず何品だって作れるようになった。これだって私にとって成長なのかななんて気がしている。残り1年の防災女子の活動でもっと防災知識を高め、成長できる私になるために、イベントではたくさんの方々と触れ合い、大学生活に全力で挑みたい。それが、愛媛のためにつながるはずだと信じている。
大西 佑奈さんの
- 防災を学ぶことを決めたのは「郷土愛」からだった。
- 高まった防災意識が私を成長させた。
※防災女子
神戸学院大学では、防災や社会貢献について学ぶ「現代社会学部 社会防災学科」を2014年4月に開設し、同年6月に女性目線での防災啓発を目的としたサークル「防災女子」を結成しました。“災害時こそ女子力で乗り切っていこう!”をコンセプトに、授業で学んだ専門知識を活かし、一人でも多くの女性そして家庭・地域社会へ「やってみたくなる防災」を伝えていけるように活動に取り組んでいます。
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