法と歴史・社会との関わりから問題を多角的に見る視点を養う
近代日本の建国に不可欠だった法制度の整備
法律というととっつきにくいイメージがあるかもしれませんが、実は、私たちの日常生活と密接に結びついています。特に、民法は契約や商品取引、親族や相続などに関わる権利や義務を定めたもので、個人にとっても事業にとっても非常に身近な法律といえます。
日本に民法ができたのは明治31年のことです。私は、日本が明治時代にどのようにして近代的な法制度を確立したのか、中でも民法の成立過程を中心に研究を続けています。
日本は、幕末に鎖国を解き、日米和親条約、日米修好通商条約など次々に条約を締結して欧米諸国との貿易を開始しました。しかしそれらは、日本にとって不利な条約で、輸入品にかける税率を自由に決める権利である関税自主権がなく、国内で外国人が罪を犯しても自国の法律で裁くことのできない治外法権が認められていました。江戸時代以来の法や裁判の仕組みは諸外国からは遅れた制度であるとみなされ、不利な条件を押しつけられたのです。
明治政府は不平等条約の撤廃をめざし、諸外国と対等な立場に立てる近代的な法制度の整備を進めました。フランスやドイツから法制度を輸入するのが早道と考えられましたが、たどってきた歴史が全く違う国の法をそのまま日本社会に適用することはできません。海外の法の考え方をどのように生かすのか、日本流にどう調整して法としてつくるのかが非常に大きな問題となりました。明治政府は、ボアソナードなどフランスの著名な法学者を招き法典の編纂を進める一方で、法律を学ぶ若い優秀な日本の学生をフランスに留学させ最先端の法律を学ばせました。彼らは帰国後、大学教授として法の制定や後進の育成を担いました。
留学先で高い評価を受けた明治の日本人留学生
私は、明治時代に外国から法が輸入された過程を考えるにあたって、彼らがフランスで何を学んだかが非常に重要だと考えています。そこで、留学生としてフランス・リヨン大学で学び、帰国後に民法の制定に関わった民法学者、梅謙次郎らに着目。2021年から2年間、フランス・リヨン大学に客員研究員として滞在し、学修の足跡を調査研究してきました。
梅謙次郎らは民法について博士論文を書いて博士号を取得しました。フランス語にしても法知識にしても、留学先の求める水準で博士論文を書くには相当な努力が必要だったでしょう。民法は、ヨーロッパでは古代ローマ以来の伝統ある法分野。論文を書くためにラテン語まで修得してローマ法を学び、思索を重ねます。論文は非常に高い評価を受けましたが、中でも梅謙次郎の論文はリヨン市から表彰され出版されるほどで、ヨーロッパの学界にも大きなインパクトを与えました。
梅謙次郎らは日本に帰国後、東京帝国大学の教授に就任し、民法の制定に力を尽くしました。明治20年代から30年代にかけて民法や刑法など基本的な法律が完成し、日本は次第に諸外国から認められていきました。治外法権は明治27年に撤廃され、関税自主権は明治44年に回復。日本の法律は、欧米諸国を追いかけて近代国家としての存立をめざした明治時代に大きな転換点を迎え、現代の法律にも通じる基盤を整えました。
法の背景にある歴史や社会の動向に目を向ける
法学には憲法、民法、刑法など実定法と呼ばれる実際の法律について研究する領域のほかに、法の周辺にある社会との関わりや法の歴史などを探究する基礎法学という領域があります。私の専門分野である、法制度の歴史を研究する法制史もその一つであり、その他に法哲学や法社会学などがあります。
実定法は現代社会の基本的なルールであり、その知識を身につけて使いこなしていくことは社会人に欠かせない資質です。他方、目の前の法律の背後にはさまざまな思想や哲学があり、歴史があります。人々が法をどう捉え、どう扱おうとしてきたのか、社会の中で実際にどう機能しているのかといった、法律の条文に書かれていない外側に目を向けることもまた、現代社会を生きるために重要なことです。
明治時代の法の歴史を探ると、現代のような法制度がつくられるようになった理由や経緯が明らかになってきます。こうした視点は、現代社会の問題を一歩引いた客観的な視点で捉えるのに役立ちます。たとえば、夫婦が異なる姓を名乗ることを法的に認める夫婦別姓について今、さまざまな議論があります。夫婦別姓に反対する意見の中には、「日本は伝統的に夫婦同姓だったから」というものがありますが、これはどうでしょうか。
夫婦同姓と決まったのは明治時代からで、まだ130年ほどの歴史しかありません。天皇を中心とする国家をつくっていくのに家制度をきっちり確立しておく方が都合がよいと考えた政策的な判断から、世帯は一つの姓でなければならないと定めたにすぎないのです。
常識だと思っていることも、そのいわれや歴史を知ることで違った角度から捉えることができます。法制史の学修が気づきのきっかけとなり、柔軟な思考を育てることにつながればと思っています。
神戸の町に点在する法の歴史の舞台
神戸は、明治時代の法の歴史を今に伝える町といっていいでしょう。日米修好通商条約を皮切りにオランダ、ロシア、イギリス、フランスと同様の条約を締結した日本は、神戸を含めて全国5つの港を開きました。神戸は横浜と並んで、生糸をヨーロッパに向けて輸出する積出港として発展しました。生糸は明治から昭和にかけて主要輸出品の一つとなり、神戸には西日本一円の生産地から生糸が集められました。神戸市中央区の新港地区には、生糸の検査所だった風格のある建物が残っています。
また、開港とともに外国人居留地建設が進みますが、居留地に隣接する三宮神社付近では外国人と武士との衝突が起こりました。岡山藩の大名行列を横切ろうとした外国人水兵に藩士がけがを負わせ銃撃戦へと発展した神戸事件です。明治新政府にとっては諸外国相手に難しい交渉を迫られる初の外交問題であり、岡山藩の武士の処罰は法の問題でもありました。
開国によって大きく変化する国の姿、近代法が成立する背景となった歴史が、神戸の町に刻まれています。学生には、身近な神戸の町と法の歴史のつながりについて理解し、法とは何かについて自分なりに思考を深めてもらいたいと思っています。
Focus in lab
-研究室レポート-
ゼミでは、神戸市内の法の歴史にまつわるポイントを実際に見て、法制史の背景について考えるフィールドワークを行っています。先日は神戸事件の舞台となった三宮神社を訪問し、境内に残っている大砲や史蹟碑を見学しました。現場をたどってみると、事件の経緯をリアルに想像することができます。また、外国人にけがを負わせた岡山藩士の切腹で決着をつけた明治政府の対応が外交や国情にどう影響したのかなど、議論も深まりました。今後も、法や歴史について体験的に学ぶことができる機会を充実させていきたいと思っています。
プロフィール
2002年 東京大学 法学部 第二類(公法コース)卒業
2004年 東京大学大学院 法学政治学研究科 基礎法学専攻修士修了
2009年 東京大学大学院 法学政治学研究科 総合法政専攻(基礎法学コース)博士単位取得満期退学
2004年-2007年 日本学術振興会特別研究員(DC1)
2009年-2013年 東京大学大学院 法学政治学研究科 特任助教
2015年-2017年 神戸学院大学 法学部講師
2017年-現在 神戸学院大学 法学部 准教授
2021年-2023年 リヨン高等師範学校 東アジア研究所客員研究員