命を守る避難行動に向けて よりよい災害情報のあり方を追い求める
人はなぜ逃げないのかを明らかにする
ここ数年、毎年のように、集中豪雨や台風による大きな風水害が日本各地にもたらされています。こうした災害の発生が予想される時には行政から避難情報が出されますが、「避難指示」などが発令された時、日本ではどの程度の人が避難すると思いますか。なんと、わずか数パーセント程度しか避難しないのです。
私は、この避難情報も含め自治体が住民に向けて発信する災害情報や新聞、テレビ、ラジオなどマスコミが発信する災害報道のあり方を研究しています。読売新聞大阪本社社会部記者時代から災害報道に携わり、阪神・淡路大震災をきっかけに設立された防災・減災研究の拠点「人と防災未来センター」に50歳の時に1年間出向して災害報道や災害情報を研究しました。このような経験を生かして、人の命を守る災害情報のあり方を探っています。
研究の主眼に置いているのは、人はなぜ逃げないのかを明らかにすることです。そのために、実際に被災地へ出向き被災した人たちに会って話を聴き、被災前後の人々の行動を詳しく分析します。アンケートを取って全体的な傾向をつかむとともに、災害に居合わせた人たちの経験を、聴き手の主観をなるべく入れることなく聴き取るインタビューを重視しています。ここ数年は、ゼミの学生たちと一緒に被災地を訪れ、インタビューなどのフィールドワークを行ってきました。2019年と2020年には2014年8月の集中豪雨による土石流の被害にあった兵庫県丹波市、昨年は2018年7月の西日本豪雨により大きな被害に見舞われた岡山県倉敷市真備町岡田地区を訪問しました。
2018年に西日本豪雨で被災した神戸市灘区篠原台でインタビューするゼミ生たち
じっくりと被災者の話を聴いていくと、なぜ避難しなかったのか、あるいは避難したのか、その理由や背景が浮かび上がってきます。避難しなかった理由としてよく話に出てくるのは、今までにも近くの川があふれたことは何度もあったが、この家は大丈夫だったからというものです。これは、災害心理学の世界で重要視されている、「正常化の偏見」と呼ばれる心の動きです。災害情報などで異常な事態が起こっていると警告されても、「たいしたことにはならないはず」「自分だけは大丈夫なはず」という具合に、事態の異常さを実際よりも低く見積もってしまうのです。
一方、なぜ避難したかについては、近所の人が「一緒に逃げよう」と言ったからとか、警察や消防、役場の職員が迎えに来てくれた、背負ってくれたといったような直接的な働きかけでようやく腰を上げたというケースが多く見られました。危険が本当にすぐそばまで迫ってこないと避難行動を起こさない人が多いのです。しかし、こうしたぎりぎりの段階での避難では、一つ間違うと命を失う危険性もあります。もう少し早く危機感を持ち、避難してもらう情報発信の仕方が大きな課題であることがわかります。
とはいえ、「このように伝えればよい」という確実な方法があるわけではありません。地形や歴史、住民のプロフィール、コミュニティのあり方など地域ごとの特性を理解してそれにマッチした方法を探り、さらに複数の手段を用いながら情報発信や避難行動につながる支援を行っていくことが必要なのです。
その悔しさをどう生かしているのか
岩手県岩泉町の豪雨災害現場を訪れたゼミ生たち
そうした災害情報のあり方を考える意味で貴重な経験となったのが、2022年8月にゼミの学生と一緒に行った岩手県岩泉町でのフィールドワークです。岩泉町は2016年8月、台風による豪雨災害によって大きな被害を受けました。中でも、災害情報の伝達という意味で衝撃が大きかったのが、情報が正確に届かなかったことによってグループホームの入所者9人が逃げ遅れて犠牲になったことでした。
当時避難情報は、高齢者、障がい者、妊婦など避難の難しい人が一足先に避難を開始する「避難準備情報」に加え、「避難勧告」「避難指示」に分かれていました。その日、町はグループホームも含めた対象者に対して早々に「避難準備情報」を通達していました。高齢者を抱えるホームは、それを聞いて即避難ではなく、避難する時に備えて準備をすることだと受け取り、避難指示が出るはずだと待機してしまったのです。町もまた、避難しているはずだと思い込み、重ねて避難指示を出しませんでした。情報の行き違いによって起こった大きな悲劇でした。この出来事を契機に、国によって避難情報がよりわかりやすい形に見直されています。まず2016年12月には「避難準備情報」が「避難準備・高齢者等避難開始」に、さらに2021年5月20日からは、「避難準備・高齢者等避難開始」が「高齢者等避難」に変わるとともに「避難勧告」が廃止されて「避難指示」に統一されました。
現地では、実際に情報を出した職員から体験談を聞くことができました。「情報を過信していた。情報を伝えれば逃げてくれるはずだと思い込んでいた。6年経っても悔しくて仕方がない」と涙ながらに話す職員の姿は、学生たちにも強烈な印象を残しました。
さらにインタビューによって、岩泉町がこの経験を教訓に新たな取り組みを進めていることもわかりました。情報を正確に伝えるためのさまざまな改善に加え、町内にある工場や地域の人たちと連携し高齢者等の避難を支援する体制を整備しているとのことでした。地域の人たちが被災の経験を災害情報の提供だけでなく、防災システムづくりにも生かしている現状を聞けたことは、学生にとって大きな学びとなりました。
災害の現場に立ち五感で学ぶ
この時のフィールドワークでは、東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた岩手県大槌町にも訪れました。被災地跡を見てまわり、年齢も性別もさまざまな語り部さんから話を聴くことができました。津波警報を聞いて逃げた人はほとんどおらず津波がすぐそばまで迫ってから避難した人が多かったと教えてもらいましたが、現地で「あそこまで津波が来ていたよ」と示されてみると、まさに命が危険にさらされていたことが一瞬でわかります。学生たちも「授業で何度も聞いた早い段階で避難することの重要性が、今ようやくわかりました」と口々に話していました。被災地を体験する意義の大きさを改めて実感する経験になりました。
現代は、インターネットの発達で情報へのアクセスはしやすくなりましたが、そこにある情報は玉石混交でフェイクニュースも数多くあります。情報のあふれる時代だからこそ、本当の情報を吟味する能力が求められるようになったといえます。私は新聞記者としての経験から、現場に行って人の話をきちんと聴き「この人の言っていることは真実だ」と感じる経験を繰り返すことで、情報の真偽を見分けられる力が少しずつ鍛えられていくのだと思っています。
現場では人の話を聴くだけではなく、自分の目で見たり、においをかいだり、五感を鋭く働かせてさまざまな情報を得てほしいと思います。現場を感じ体験することによって想像力が育ち、情報を真に理解することにつながるのです。
その意味では、ボランティアの体験も非常に重要な学びの機会です。これまで、学生とともに20回ほど災害ボランティアに行きましたが、行ってみるとボランティアする側と受ける側で意識のギャップがあることが如実にわかります。地元の人がボランティアに何を頼んだらいいかわからず、要望がなかなか挙がってこないこともあります。水害の後片付けにボランティアが来てくれるから、恥ずかしくないようその前に一生懸命掃除をした、などという笑い話のような現実がいくらでもあるのです。ボランティアの文化がまだまだ未成熟な日本の災害ボランティアに、今後どのような取り組みが必要なのかを学生とともに考えています。
人はなぜ避難しないのかという、災害情報にとっての最も重要な課題に対する答えは、そう簡単に見つかるものではないでしょう。今後も学生とともに災害の現場に出かけて被災者の声を聴き、若い感受性が受け止める気づきを大切にしながらデータを集め、よりよい災害情報のあり方を追求していきたいと思っています。
Focus in class
-授業レポート-
担当する科目の一つ「マスコミ論」では、マスコミが発信する情報をどう読むのか、社会で実際に起きているさまざまな事例を取り上げながら学生と一緒に考えています。参議院選挙の時には「選挙に行こう」と題して候補者の中からどう投票する人を選ぶのかをテーマに取り上げ、自分事として考えてもらいました。ロシアのウクライナ侵攻では、ロシアが戦争を仕掛けるに至った背景まで含め、読み解き方を考えました。また、私の記者時代の経験から題材を選び、マスコミの社会に対するスタンスについて検討することもあります。多様なテーマの考察を通して、世の中のできごとを俯瞰し多面的に見る力を養成したいと思います。
プロフィール
1979年 同志社大学法学部卒業
1979-2014年 読売新聞大阪本社
2005-2006年 人と防災未来センター研究調査員として出向
2014-現在 神戸学院大学現代社会学部社会防災学科 教授