「心的外傷後成長」の研究を通じてアスリートの心をサポートしたいin Focus

神戸学院大学のSocial in ~地域社会とともに~ 「心的外傷後成長」の研究を通じてアスリートの心をサポートしたい(中村 珍晴/心理学部 心理学科 講師)
神戸学院大学のSocial in ~地域社会とともに~ 「心的外傷後成長」の研究を通じてアスリートの心をサポートしたい(中村 珍晴/心理学部 心理学科 講師))

けがの経験から得られるアスリートの心の成長を研究

私は、スポーツ心理学を専門にしており、アスリートがけがをした際の心理的な影響をテーマに研究をしています。アスリートにとって重度のけがは身体面だけでなく心理面にも傷跡を残す危険性がありますが、スポーツの現場では身体的なケアは重視されても心のケアにまで配慮されているとは言えないのが現状で、「けがをする人が悪い」という考え方をする人も少なくありません。けがをした後の心理面でのサポートの重要性がもっと広く認識されるようになり、サポート方法の確立につながればという思いで研究をしています。

研究のきっかけとなったのは、スポーツでけがをした自分自身の経験です。19歳の時、大学のクラブ活動でアメリカンフットボール部に所属していた私は、試合中の事故で首を骨折。頸髄を損傷し手足に麻痺が残る障害を負いました。復学するまでの2年半は肉体的にはもちろん精神的にも本当に辛く、ほとんど引きこもりのような状態になってしまいました。それでも、チームメイトのみんなが復帰を待っていてくれたことから「彼らのいるチームに戻りたい」という強い気持ちが芽生え、毎日6時間以上のリハビリを続けてようやく大学に復学することができました。大学では勉強の傍ら、アメフトチームの戦術を立てるコーチを担当し、その2年後にはヘッドコーチを引き受けることになりました。

コーチとして選手の指導に携わるうち、自分の事故やけがの経験を通して、アスリートの心のサポートをしたいと考えるようになりました。そこで大学院に進学しスポーツ心理学の研究を行う中で、興味を持ったのが心的外傷後成長(PTG)です。PTGは、辛い出来事とその先の精神的なもがきを通して人間的に成長するという心の動きのことで、近年、心理学分野の研究で明らかになってきた考え方です。戦争から帰還した人や、大きな自然災害に遭遇した人たちを対象にした研究からスタートし、2000年代に発表された論文から多くの人に知られるようになりました。日本では、東日本大震災をきっかけに注目され始めました。

私にとって、けがで障害を負ったことは確かにとても辛い出来事でしたが、同時にあの事故があったからこそコーチの道を見つけることができ、精神的にも成長したと感じました。このような辛い出来事の経験が心理的にプラスに働くという実感を客観的に分析することができれば、アスリートの心理サポートに役立つのではないかと調べていたところPTGという概念を見つけたのです。このPTGの概念をスポーツ心理学の分野に応用し、アスリートがけがの後にどのように心の成長を果たすのかを解明することにしました。けがをした経験のあるアスリートを対象に質問紙調査とインタビュー調査を行い、成長の度合いや成長に影響を与えた要因などを分析しました。

※Posttraumatic Growthの略称

周囲の関わり方もアスリートの心の成長を左右する

私が最も関心があったのは、「けがをした後の成長」に、何が影響を与えるのかということです。少なくとも二つのことが影響を与えているのではないかと仮説を立てました。一つは、その人自身がもともと持っている性格です。打たれ強かったり、ストレスに強かったりする人は、辛い経験を経ても立ち直ることができるのではないかと考えました。もう一つは、周囲のサポートです。私もけがをした際には、周りに支えられ「自分は一人ではない」と感じたことで前向きな気持ちになれました。周りからのサポートがあったか、それをどう自覚したかは成長に大きな影響を与えると予測しました。

研究によって、この2点はそれぞれ成長を後押ししてくれる重要な要因であることがわかりました。興味深かったのは、精神的にあまり強くない人でも、周囲からサポートしてもらったという感覚があると成長の度合いが大きくなることでした。ネガティブな出来事を自分の糧にするには、周囲との関係が重要だということが改めて明らかになりました。

「今は辛くてもその先にプラスに転じることもある」という可能性を提示できたことは、けがで苦しんでいるアスリートの心の支えになるでしょう。また、周囲がサポートをするうえでのヒントも提示できました。辛い出来事に遭遇すると、それまでの自分の当たり前が崩壊し元に戻せないという現実に苦しみます。しかし、そこから「この出来事は自分にとってどんな意味があったのか」といった答えのない問いについて十分に考え、思い悩むことがPTGにつながります。けがをしたアスリートの復帰を考えるのも大事なことではありますが、復帰に至るまでの過程でしっかりと本人に考える機会を与え、話を聞くこともそれ以上に大切なことです。こうした、今まであまり知られていなかったサポートの方法についても情報を提供していくつもりです。

研究と実践の両面からアスリートや中途障害者を支援

研究と並行して、社会貢献活動も進めています。スポーツ心理学という専門分野に関わりの深い分野では、スポーツメンタルトレーニング指導士という資格を取得してアスリートの心理サポートを行っています。この資格の取得者は、アスリートが試合本番で実力を発揮できるよう思考と感情のコントロールを支援するケースが多いのですが、私はけがをしたアスリートに寄り添って話を聞き、メンタルヘルスの面からもサポートをしています。結果的にPTGにつながるような息の長い支援を目指しています。

また、専門分野と直接関係はありませんが、私と同じように脊髄を損傷して車椅子生活になった人に役立つ情報をYouTubeチャンネル「suisui-Project」で発信しています。私がけがをした2007年当時は、インターネットで調べても脊髄損傷による障害のある人の生活についての情報はほとんどなく、自分がリハビリ後にどう暮らしていけるのか想像できないことがとても不安でした。私自身の実体験を中心に具体的な情報を提供することで、生活のイメージや目標ができ、リハビリに取り組む原動力になればと、動画配信を始めました。

最近は、当初の目的に加え、一般の方に車椅子の生活を知ってもらう情報源になればとも思うようになりました。車椅子で町に出ると、物理的なバリアがまだまだたくさんあります。周囲にいる人がちょっと手を貸してくれれば越えていけるものがほとんどですが、残念ながら助けてくれる人はそう多くありません。これは、車椅子や障害のある人と関わることに慣れておらず、どうしたらいいのかわからないことが大きな要因です。私の発信が、深く考えなくてもさっと手を差し伸べるなど、障害のある人と一緒に生活する最初の一歩につながればうれしいです。実際、「知らなかった世界を知ることができて学びになった」「障害があっても前向きに生活している姿に勇気をもらえた」という感想をたくさんいただき、励みになっています。

社会での活動からは、研究につながるヒントが数多く得られます。今後は、けがなどスポーツ障害だけでなく研究対象を広げていくつもりです。たとえば、予期していなかった引退やレギュラーから外されたこと、勝ちたかった試合で負けたことなど、本人にとって当たり前だったり、目指していたりした世界が突然崩壊してしまったりするような出来事は、何でもPTGのきっかけになり得ます。こうした辛い出来事を乗り越えてどう生きていくか、その指針につながるような心の働きを解明したいと思います。さらにスポーツの世界にとどまらず、人生の途中で障害を負った中途障害者への支援につながる取り組みを研究と実践の両面から行っていくことが、今後の大きな目標です。

Focus ㏌ lab

-授業レポート-

授業では、学生同士の話し合いや発言の機会を設けたワークショップ形式を取り入れています。たとえばストレスというテーマであれば、私が説明する前に、まず「ストレスをどんな時に感じるか」「ストレスとは何だと思うのか」などをペアになって考えてもらいます。このようなアウトプットの機会を経験することで、学問の内容に興味を持つことができ、興味を持つことが自ら調べる能動的な学びにもつながると期待しています。また、アウトプットは、自分の考えを相手に伝え、相手の意見をよく聴いて受け止めるコミュニケーションの力も鍛えることにもつながります。学生たちには学問を通じたコミュニケーションを楽しみ、これからの社会を生きるために必要な相手を理解する力を身につけてほしいと思っています。

プロフィール

学歴・学位

2014年 天理大学体育学部卒業
2016年 大阪体育大学大学院スポーツ科学研究科博士前期課程修了
2019年 大阪体育大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程満期退学
2020年 博士(スポーツ科学)取得 大阪体育大学大学院スポーツ科学研究科

経歴

2018年 神戸学院大学心理学部講師

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