2019年2月 慢性疼痛に悩む人を救いたいin Focus

神戸学院大学のSocial in ~地域社会とともに~ 慢性疼痛に悩む人を救いたい 松原 貴子 Takako Matsubara 総合リハビリテーション学部 教授
神戸学院大学のSocial in ~地域社会とともに~ 慢性疼痛に悩む人を救いたい 松原 貴子 Takako Matsubara 総合リハビリテーション学部 教授

慢性疼痛は神経の病気

私は痛みを専門に研究するかたわら、臨床で慢性疼痛の治療にあたっています。現在、日本国内には、慢性疼痛に悩み苦しむ人が数多くいます。厚生労働省の「慢性の痛み対策研究事業」の一環として行われた調査によると、3カ月以上持続する慢性疼痛に悩む人の割合は15%~22%で、およそ5人に1人もの人が長引く痛みを抱えているのです。しかし、慢性疼痛を訴える人の中で病院にかかっている人は45%に過ぎず、その中でも痛みの治療に満足している人は30%を切っています。慢性疼痛の患者さんの多くが、「痛みがあるのは仕方がない」「病院に行っても治らない」と感じているようです。

急性痛はケガや炎症によって生じる症状であり、原因が治れば痛みもなくなります。これに対して慢性疼痛は、ケガや炎症はすでに治っているのにもかかわらず痛みが持続する状態です。なぜ、痛みが続くのか。最近の研究で、慢性疼痛は痛みに関わる神経系、特に脳の神経が過敏になりちょっとした刺激でも過剰に反応してしまい引き起こされることがわかってきました。本来なら情報のやりとりがないはずの神経細胞同士がつながったり、やりとりする情報の量が大幅に増えたりといった痛み神経系の異常な興奮によって、「痛い」という情報が脳に送られ処理され続けます。そのため、痛みを起こすような刺激でなくても「痛い」と感知・認識し、さらにそれが「記憶」として脳内にとどまってしまうことでケガや炎症が治った後も痛みを認識し続けてしまいます。つまり、慢性疼痛の原因は脳の神経系の機能不全や変調によって生じるものが多いことから、慢性疼痛とは神経の病気といっても過言ではありません。

日本では、このような慢性疼痛のメカニズムが、医師やリハビリテーションの専門家にも十分周知されているとは言えません。そのため、日本の慢性疼痛治療は、諸外国に比べて30年は遅れているといわれています。神経の病気である慢性疼痛に対して、ケガや炎症を治そうとする急性痛と同じ治療をしても、それは適切とは言えません。そのような適切な対処がなされないことによって、運動器(身体を動かす筋肉や関節)の痛みや病気による直接医療費は年間2兆円(年間医療費の約8%)にまで膨らみ、さらに慢性疼痛による就労困難など間接的な損失額は2300億円とも言われています。

こうした状況に対処するため、国は数年前から慢性疼痛対策に乗り出しました。医療や保健、労働などの分野で「痛みに悩む人を救う」「慢性疼痛にならないように予防する」ためのさまざまな政策が始動しています。また、慢性疼痛についての診療・教育体系を構築し、慢性疼痛に悩む人が適切な医療を受けてその人らしくいきいきとした生活を送る・働くための法律を制定する活動(慢性の痛み対策議員連盟)も進んでいます。

私は、厚生労働省「慢性の痛み政策研究事業」の研究班メンバーとして、慢性疼痛の診療・教育の基盤となるシステム構築に携わるとともに、診察や治療の指針となる「慢性疼痛治療ガイドライン」を我が国で初めて昨年策定し、医師を含む医療者教育のテキストを作り、さらに医療者や国民、社会に対して慢性疼痛の正しい情報を伝える活動(認定NPO法人いたみ医学研究情報センター)などに携わっています。

運動は痛みを緩和し痛みに強い体質改善につながる

痛みは、触覚のような他の感覚と異なり脳のさまざまなところ(“ペインマトリクス”と呼ばれています)で複雑に処理されています。たとえば、痛みは「記憶」として蓄積されると述べましたが、誰でもとても辛かった痛みについてはいつ、どんな状況で生じたかを覚えていると思います。これは、痛みが生命を守るために危険を知らせる警告信号・情報として非常に大切だからこそ必要なメカニズムなのですが、慢性疼痛では残念なことにそのようなメカニズムは働かず、過去の痛みの記憶が引き出されやすく脳内で増幅されやすくなっているのです。また、痛みと気分をコントロールする脳内メカニズムは関係が深いことから、痛みが続くと気分が落ち込んだり不安になったり、逆にイライラしたり怒りっぽくなったりします。このように現代医療では人の心と身体を切り離すことはできないと考えられており、「心因性の痛み」という表現は適切でないとされています。さらに、その人を取り巻く人間関係や社会とのつながりまでも含めて全人的に診ることが必要です。これはすべての医療において重要な考え方ですが、とくに慢性疼痛の治療では不可欠です。

世界的に効果を上げている慢性疼痛の治療は、運動療法です。それに認知行動療法や患者教育を組み合わせることが重要とされています。いわば、“脳トレ”運動療法といった感じです。認知行動療法とは、「歩いたから痛い」「痛いから安静にしている」というような痛みの捉え方や考え方、すなわち「認知」を是正しようとする治療法です。そのためには患者教育によって患者の心身で起こっていることを正しく伝え、「このような痛みがあったら家のことは“まったく”何もできない」「こんな状態では会社に行っても“まったく”役に立たない」などの極端な考え方から、「痛みはあるが○○はできる」といったポジティブな考え方に変えていく(認知再構成する)よう働きかけます。認知行動療法は、考え方だけでなく実際の行動も一緒に今よりも前向き・積極的に変え、活動性をあげて生活の質を高めてもらうことを目的とした治療です。

主役の運動療法は、現在、慢性疼痛治療の第一選択治療法として世界各国で強く推奨されています。慢性疼痛となれば薬や物理療法などをイメージされると思いますが、運動療法は第一に選択すべきもっとも有効性の高い治療法として、さらに副作用のほとんどない安全性の高い治療法として認められています。私は、この運動療法が慢性疼痛に効果を発揮する神経メカニズムの解明をテーマに研究を続けています。運動をすると脳内には痛みを緩和する種々の神経物質が生成されます。これらの物質は、人工的に合成される慢性疼痛の薬に含まれる有効成分と類似(それよりも濃度効果は高い?)のもので、しかも自分で作る自分専用のものなので副作用がほとんどありません。運動療法にはこのような緩和成分を分泌させるのと同時に、痛みを過敏に伝え処理していた脳の神経系を回復させる効果があります。痛みを処理するペインマトリクスと運動にかかわる脳部位には重なりが多いので、運動をすることで脳は運動のための情報処理・伝達の役割を果たすようになり、過敏に活動していた痛み神経系を鎮静化し痛みに強い体質へと変わっていきます。

軽い運動を短時間から、週に数回行う程度でかまいません。運動習慣のない人や痛みで運動がしづらい人なら、5分歩くだけでも効果があります。ただし、漫然と運動するだけでは神経系を回復させることはできません。患者教育によって痛みや病気に関する正しい知識を学び、認知行動療法のように考え方や行動パターンを変え、自分のやっている運動(治療)の意味や効果を理解すること、脳をフルに使って意識を集中しながら運動を行うこと、すなわち脳トレ運動が大切です。歩けと言われ意味なく歩くというより、「脳の中で痛みに効く良い成分が出てくる」と思って痛みを撃退するイメージで歩く・運動するほうが効果的です。

患者の目線を大切にする

私の研究では、運動をすることで痛みに関わる神経系がどのように正常化し改善していくのか、精緻なデータ分析によって解明しようとしています。運動による鎮痛メカニズムの解明と薬に代わる治療法開発を研究しているラボはほとんどなく、この研究成果は慢性疼痛治療に大きな影響を与えることになると期待しています。現在のところ、運動を始めて4週目頃から患者の自覚する痛み症状が変化しはじめますが、驚くべきことに、症状の改善に先立って体内では過敏になっていた神経系が鎮静化しはじめ体質変化が起こる可能性が明らかになり始めています。

また、現在もう一つのプロジェクトとして、我が国のさまざまな慢性疼痛のタイプ分類を進め日本人の慢性疼痛の病態解明と診断法の確立をめざし、適切な治療法のマッチングを探求していく予定です。日本人は、その民族性のためか、痛みに耐えるのを美徳とする文化的背景があり、諸外国に比べ痛みの訴え方が異なると考えられます。そのような国民性や民族・文化的背景も考慮しながら、痛みを分析科学的に“見える化”し、正しい診断法の確立に寄与したいと考えています。

当ラボでは今春より大学院生と研究員を多数迎え大所帯となる予定ですので、メンバー一丸となって研究を発展させるとともに、地域の医師、理学療法士、作業療法士など医療者との連携を深める活動(具体的には研究会の発足や双方向性の新情報互換など)を進めていきたいと思っています。

私が痛み研究に本格的に取り組むようになったのは、臨床で老若男女ならびに診療科(病気の種類)を問わず非常に多くの患者さんが痛みを抱え苦しみ、痛みが医療機関受診のきっかけとなっていることを目の当たりにしたからです。痛みを解決できたら、たくさんの人を救える、役に立てると考えました。現在は学際的痛みセンターで臨床に携わっていますが、患者さんにとって最後の砦なんだということを常に強く意識し、個々の患者さんのためにできる最善策のすべてを提供することをめざしています。

痛みにはまだまだわからないことも多いのですが、病気を治すことばかりに目を奪われるのではなく、今の状態より少しでも楽にしてさしあげること、その人にとっての人生の質を高めることが医療の努めと考えています。研究を続ける上でも、臨床で出会う多くの患者さんたちの目線に立つことを忘れないでいたいと思っています。

プロフィール

1991年3月 神戸大学 医療技術短期大学部 理学療法学科 卒業
1991年4月-1997年3月 特定医療法人愛仁会 千船病院 理学療法士
1997年4月-2006年3月 神戸大学 医学部 保健学科 助手
2006年3月 神戸大学大学院 医学系研究科 博士後期課程 修了 博士(保健学)
2006年4月-2007年3月 名古屋学院大学 人間健康学部 リハビリテーション学科 講師
2007年4月-2008年3月 日本福祉大学 福祉経営学部 医療福祉マネジメント学科 准教授
            日本福祉大学 健康科学部 開設準備委員
2007年7月-愛知医科大学 学際的痛みセンター 非常勤理学療法士
2008年4月-2011年3月 日本福祉大学 健康科学部 リハビリテーション学科 准教授
2011年4月-2018年3月 日本福祉大学 健康科学部 リハビリテーション学科 教授
2017年4月-愛知医科大学 医学部 客員教授
2018年4月-神戸学院大学総合リハビリテーション学部 理学療法学科 教授
      神戸学院大学大学院 総合リハビリテーション学研究科 医療リハビリテーション学専攻 生体機能・病態解析学分野 教授

主な研究課題

  • 慢性疼痛の集学的診療・教育システム構築
  • 運動による疼痛抑制の神経メカニズム解明
  • 客観的評価法による疼痛の診断・評価法の開発
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