世界編2
神戸学院大学の同窓生は6万人を超えるまでになり、その活動の場は日本国内だけに留まりません。今回は、アジアやアメリカなど世界を拠点に活躍する卒業生から届いたメッセージを紹介し、その活躍ぶりをお伝えします。
日本が誇る文化「寿司」の良さをアメリカで伝え続けたい
和食レストランオーナー
近藤 清人 氏
1974年経済学部卒業
アメリカ合衆国:ワシントンD.C.在住
大学時代はフォークソング部に在籍し、ラジオ番組に出演して歌を披露したり、テレビ番組のアシスタントを務めたりしました。卒業後、司法書士の叔父の勧めで宅地建物取引主任者の免許を取得。一方で、放送関係の仕事が好きで関わり続けているうちに、学生時代に京都の老舗ホテルやレストランの案内係のアルバイトで培った英語力を買われ、外国人タレントへの応対を求められることに。卒業の翌年には英語力を強化するために渡米し、ワシントンD.C.で語学学校や大学に通学しました。その際、生活費捻出のためにリムジン運転手の資格を取得。2年間ほど、当地にて日本政界および経済界の著名人の運転手を務めました。
1981年に「与作レストラン」を手伝ったことをきっかけに、和食レストランビジネスに進出。現在、3店舗総勢80名の従業員で運営しています。
寿司は日本が世界に最も誇れる文化のひとつ。私は現在、この文化を正しく継承していくための非営利団体「全寿司商組合」の会長を務めています。今後も、人と人との輪を広げ、もっと現地の人たちに日本に興味を持っていただき、日本を好きになってもらえるような活動を読けたいと思っています。
今まで何事にも「初志貫徹」を実行
後輩にも海外にどんどん出て行ってほしい
YAMAHA MOTOR VIETNAM CO.,LTD.社長
浅野 正樹 氏
1981年経済学部卒業
ベトナム社会主義共和国:ハノイ市在住
大学の就職活動では、海外に進出している企業を志望。就職課スタッフの方の後押しもあって、現在社長を務める会社の親会社に入社することになりました。30歳を迎えた頃には、機会を与えられインドネシアに赴任し、私の海外勤務生活がスタート。6年間当地で販売促進を担当した後、ヨーロッパや中南米などの地域を担当し、2007年からベトナムで現地法人の社長を務めています。
ベトナムでは、主な移動の手段はオートバイ。通勤通学だけでなく、荷物の運搬から家族や恋人同士でのツーリングまであらゆるシーンで利用されています。そんな庶民の足に何か不具合があれば一大事。そのため、製品の品質管理には細心の注意を払っています。また、U-11・U-13全国少年サッカー大会、及びベトナムA代表のスポンサーを務めるなど地域貢献活動も積極的に実施。地元で信頼され長く愛される企業になるため、さまざまな努力をしているところです。
振り返れば、大学時代、練習初日に高熱を出してダウンしながらも4年間頑張ったサッカー部での活動や、一貫して海外勤務を目標に努力してきたことなど、私はこれまで一度目指したことは初志貫徹してきたと自負しています。神戸学院大学の後輩も、どんどん海外に出てチャレンジしてほしいと願っています。
“アウェイ”の地・韓国で、チャレンジし続け10年
フリーアナウンサー/ライター
笹部 佳子 氏
1995年法学部卒業
大韓民国:ソウル市在住
“とにかくしゃべることが好き”だった私は、就職浪人をしてアナウンサーを目指し、NHK富山放送局のお昼のキャスターに採用されました。その後、郷里の福岡へ帰郷し、フリーアナウンサーとしてテレビ、ラジオの番組を担当。サッカーワールドカップ日韓大会が2年後に迫った2000年、韓国を体感しようと単身留学し、韓国語を学びながらフリーアナウンサーとして取材活動を始めました。2004年には、現地で個人プロダクションを設立。現在まで、媒体やジャンルを問わず、韓国の旬の情報を日本へ送り続けています。2002年のW杯開催後は、ご存じの通り日本で空前の「韓流ブーム」が到来。当時は、日本の皆さんの“見たい・聞きたい・知りたい”を現地から届けたいという一心で、とにかく多忙な毎日を送っていました。
韓国に暮らし始めて今年で10年になりますが、いつも“アウェイ”で戦っているという気持ちで仕事をしています。ただ、チャレンジ精神旺盛な私にとっては、これは心地よい感覚。いつの日か、日本と韓国の両国を行き来しながら、挑戦する気持ちを失わずおおらかに活動することができればと願っています。
海外で活躍する同窓生が増え、将来は海外支部開設を希望
永旺華南商業有限公司(AEON South China Co., Ltd.)勤務
西野 佳臣 氏
1994年栄養学部卒業
中華人民共和国:深圳(セン)市在住
大学卒業後、大手流通企業の「ジャスコ」に入社しましたが、栄養学部卒業ということもあり、店舗の食品の水産売場に配属になりました。国内の店舗を5年、本部商品部のバイヤーを3年経験したのち、海外勤務の研修制度に応募。台湾の店舗で1年間研修生として働くことになりました。当時の私は、アジアに対してよい印象を持っていませんでした。しかし、台湾の人たちは中国語のまったく分からない私に丁寧に対応してくれ、1年後には台湾が大好きに。第2の故郷と呼べる程、親しみを感じるようになりました。
現在私が勤務している中国は、想像を絶するスピードで成長しています。いかにお客様の変化に対応できるのかが鍵となるため、なるべく現地の人と同じような生活をするよう心がけています。そのせいか、日本に戻った時には、友人から「中国人化している」とよく言われます(笑)。中国は住んでみると、人も気さくで物価も安く住みやすいところ。私たちが、少しでも現地の方々の生活レベルを上げる手助けになればと日々努力しているところです。個人的には、今後海外で活躍する同窓生が増え、同窓会の海外支部ができることを願っています。
中国での生活も今年で5年目
次のステップへの予感高まる上海での日々
物流会社勤務
城下 恭子 氏
1998年人文学部卒業
中華人民共和国:上海市在住
上海は万博イヤーを迎え、街の活気がピークに達しています。会社の窓からは、上海と言えば恐らく誰もが一番に思い浮かぶであろうテレビ塔や高層ビル群を眺め、「上海にいるのだなぁ」と日々実感しています。
在学中は交換留学制度を利用し、イギリスのリーズ大学に留学をしました。そこで得た他国の人々と交流をする自信は今の自分に大きく影響を与え、いつかまた海外に出るであろうという思いは、中国留学という形で実現しました。
卒業後、神戸での10年近い社会人生活を経て、また新しい事にチャレンジしたいとの思いで退職。仕事で関わった中国語を学ぶため、当初半年の予定で北京へ旅立ちました。帰国前、1ヶ月かけて中国国内を列車とバスで周り、人々との交流、民族、大自然に触れ、改めて中国のスケールの大きさに圧倒されました。「中国は広すぎる、まだまだ見るべき所がある」と次の半年の延長を決めました。旅の終わりには、春節の帰省ラッシュに巻き込まれ、55時間を座席無しで列車に乗るというオチがあり、さらに逞しくなって北京へ戻りました。
縁あって神戸で勤務していた会社に上海で現地採用され、8月で中国生活は5年目を迎えました。この街では日本ではありえなかった人との繋がりや、チャンスに溢れています。そんな縁に恵まれ、上海生活がまた次のステップへ進む予感がしています。
元留学生より、同窓生の皆さんへ
現在、多くの留学生が神戸学院大学のキャンパスで学び、卒業後母国へ戻って活躍されています。そんな“同窓生”のなかから、中国の東北師範大学で教授をしておられる林忠鵬氏のお便りを紹介します。
東北師範大学外国語学院 日本語学講座教授
林 忠鵬 氏
2001年人間文化学研究科 博士課程修了
私が生まれたのは吉林省長春市(旧満州の新京)で、もともと日本語教育が盛んな土地柄。私もその影響で小さい頃から日本語を少々話すことができたため、文化大革命後の大学入試制度回復の機運に乗って、日本語科を目指したところ合格。その時の日本語科が、私が勤務している東北師範大学でした。
大学卒業後は、母校の日本語科の助手を5年間務めましたが、さらに日本語を研究したいと考え、日本への留学を決意。信州大学言語文化研究科修士課程を経て、神戸学院大学人間文化学研究科博士課程に進学しました。研究科在籍中、直接指導いただいたのは蔵中進教授でしたが、水本浩典教授や一海知義元教授など、多くの先生方にお世話になりました。学業以外でも、先生や仲間と居酒屋で“飲みニケーション”したことも印象深く、当時のことを思い出すと神戸学院大学のキャンパスに戻りたくなります。
現在、神戸学院大学と東北師範大学は交流協定を結んでいます。今後はさらに交流範囲を各学科に拡大し、教員や学生の相互派遣など両大学の交流のために、私も微力ながら力を注ぎたいと考えています。