特集:教育活性化会議 座談会
「神戸学院大学における今後の教育改革
― 学士課程教育の構築に向けて ―」フロントライン

2.教育課程改革をめぐって

科目の意図を全教員が共有し
教養教育の重要性を理解した科目編成を

GPAを含めた新しい制度の導入を検討

座長: 今回、中央教育審議会の答申においてもうひとつ重要なことは、ディプロマポリシーをきちんと構築したうえで、学習到達度を把握する体制づくりに着手しなさいと記していることです。そうしたなかで例としてあげられているのは、卒業研究や卒業論文、あるいは卒業試験などに客観的な基準を設けること。加えて、GPA(Grade Point Average:成績評価法)の導入など、単位認定基準に関する厳格化の問題も、答申では取り上げられています。こうした問題については、カリキュラムポリシーに直接関わってくるかと思いますので、教育課程の編成が抱える問題を論じていきたいと思います。

備酒准教授: 私はカリキュラム編成を考えるうえで、単位の厳格化や、キャップ制(履修制限制度)、GPAなど各種の方法論導入を考えることは当然の流れではないかと考えております。こうした課題に関して、カリキュラム・ワーキンググループでは、基本的には、4月から発足する常設の教育開発センターなどで管理して行くことが必要であるという考えで一致しています。またグループでは、その検証方法のチェックリストを作成している段階にあります。総合リハビリテーション学部医療リハビリテーション学科を例にしますと、厚生労働省が管轄している国家試験を受験するためには多くの縛りがあり、端的に言うと、キャップ制をつくらなくてもキャップ制になっているという実情があります。また、GPAを導入した場合、例えば、技能として満たされているかという側面のみを基準に判定せざるを得ません。とはいえ、いずれGPAやキャップ制導入を実現することとなれば、各学部の事情に応じながら検討していくことになるでしょう。

総合リハビリテーション学部の授業風景
総合リハビリテーション学部の授業風景

横井教授:本学の薬学部で導入されているGPAは、卒業生の質を確保するためというより、1年次から順次進級していくための評価基準となっています。つまり、一定の成績を2年間維持できなかったら退学しなければならないなど、本格的なGPAを採用しているアメリカの大学の基準とは異なります。アメリカの大学の場合は、その大学ではだめでも他の大学が受け入れてくれます。日本ではまた受験を経なければ大学生のままでいることはできません。評価に関しては、絶対評価なのか、相対評価なのか、本学の教育方針を踏まえ、両方の視点を十分議論したうえで反映すべきだと考えています。

山上教授: 横井教授がおっしゃった、進級できるかどうかを決定する数値をどこに設定するかといった論議は、今まで経験がないだけに難しいと思います。ただ、現在の単位認定制では、成績は“優良可”で評価しますが、すべて“可”であっても進級・卒業できることになります。学力を保障するという意味では、GPAによって成績を明確に数値化して実質的に評価すべきだと思います。もっとも、絶対的評価を採用すると、例えば国家試験を受験するための数値をクリアすれば合格、つまり“優”、不合格は“不可”ということにもなり、GPAの制度となじまないことになります。現状の評価方式には必ずしもコンセンサスがないことを考えますと、評価についての考え方を教員が議論して確認していく作業が必要ではないかと思います。

学長 ;岡田 芳男
学長 岡田 芳男

学長: 確かに、今すぐGPAを採用することは現状では難しいでしょう。導入するとすれば、GPAにしても、最初はレベルを低い状態で設定してから、3年もしくは5年かけて徐々に引き上げて本来のGPAにしていくという方法が考えられると思います。そうした方法を、自主的に各学部で考えていただく。理系と文系によって、あるいは各部で教育のあり方が全く違うので、一律に実施するのは無理が生じると思います。

横井教授: 例えば、制度の導入を考える前にGPAをなんのために採用するのかということを考えてみるのもよいかと思います。教育の質を高めるためにGPAを利用するとすれば、例えば、試験も1回のみで終わるのではなく、1回目にCを取った学生でも追試を受ければBやAを取得できるという制度にしておくわけです。そうして、再チャレンジできるような仕組みを作って全体としての学力が上がれば、結果的にGPAにおける数値も当然上がるわけですから。

座長: そうした議論は、ぜひ今後もしていただきたいのですが、今おっしゃられた再チャレンジといった考え方は非常に重要だと思います。現行のシステムですと、いったん留年するとなかなか進級できないということが多々あるかと思います。もう一度努力すれば、再度進級できる仕組みがうまく構築できればよいのではないでしょうか。そうした観点からも、GPAを含めた新しい制度の導入を検討する必要があると思います。

横井教授: GPAとは別の観点からカリキュラム編成について考えますと、私立R大学や国立E大学の取組例が参考になるかと思います。両校はまず学部の目標を定め(箇条書きで、10項目程度)、そして個々の科目の教育目標(到達目標)との関連性について、一覧表にして、その妥当性や適切性を明示するような仕組みを作っています。この関連性を示したものをカリキュラムマップと言うことですが、こうしたものは学士課程教育の評価においてもエビデンスとなるので、大変重要であると思います。こうした他大学の取組なども本学のカリキュラムを考えるときの参考にすべきではないでしょうか。

備酒准教授: おっしゃる通りだと思います。実は総合リハビリテーション学部でも、科目ごとの教育目標と学部の教育目標を一致させるために、その関連性や適切性、適切な科目の配置ということも考えているところです。例えば、入学初年次にそうしたことを学生にきちんと説明すれば、彼らの学習理解度も進むと思います。

薬学部の授業風景
薬学部の授業風景

横井教授: 薬学部の場合は、2009年度には6年制がスタートして4年目に入りますので、3年目までの3年間の自己点検・評価をしなければなりません。すべての薬学部のある大学においてです。コアカリキュラムを作成し、6年制に移行したのですから、厳しく自己点検・自己評価が求められたわけです。第3者評価は、6年制に移行する条件でした。この自己点検・評価を「薬学評価21」と言いますが、チームを組み、項目の点検作業を行う予定です。こうした作業は学士課程教育の方向性と軌を一にしていますが、文系学部の場合は、目標が明確にできないためか、なかなか難しいと思います。理系(医療系)学部の場合は、目標が比較的はっきりしているので、評価の項目化は簡単ですので、こうしたシステムの導入はしやすいのではないかと思います。

座長: 学位プログラムは大きく分けて、リベラルアーツ分野とプロフェッショナル分野に分類されます。日本の大学の理学部と文学部はリベラルアーツ分野にあたり、それ以外の工学部であるとか医学部であるとか法学部であるとかはプロフェッショナル分野となります。最近の中央教育審議会でも、職業訓練を含めた教育目標に対してそれぞれの科目の特質性に配慮して配置する場合、リベラルアーツ分野の方が難しいという議論がされているようです。本来、本学でも各学部が教育目標、教育理念というものをきちんと立てていて、それに基づいてカリキュラムが編成されています。ですので、カリキュラムをきちんと履修すれば、学部の教育目標は達成されるはずです。しかし問題は、各科目が現在のカリキュラム編成のなかで適切に機能しているのかということに関して、これまであまり議論がなされてこなかったことではないでしょうか。もうひとつ気になっていることは、これまで、学部の改編や再編の際に、今いる教員をどこに配置するのかということにもとづいてカリキュラム編成を考える傾向があったのではないかという点です。本来、学位のプログラムを考える際には、教育目標に対して整合性のあるシステムをまず考えたうえで、教員の適性を判断して配置を考えるべきではないかと思います。

横井教授: 学問は常に変化し、ずっと同じということはあり得ません。かなり厳しい言い方になりますが、教員の側もそういう厳しさも認識しながら教育改革をやっていくべきだと思います。そうした意味でも、まず、各学部なり学科なりの方針そのものを、所属している教員が共有することが大事ではないでしょうか。

山上教授: まず前提として、学部毎に、カリキュラム編成の際に、科目の配置がよく練られてコース編成が考えられています。学部の教育目標と、それを具体化しているカリキュラムは裏表の関係にあり、一定のコンセンサスがあると思います。ただ、そうしたことを教員や学生が周知できていないこと、あるいは周知するシステムがないことが問題です。現状として、学部の目標と個々の科目の目標が必ずしも一致していないと感じるのは、おそらく教員がそうした全体のコンセンサスを意識せずに、各自の見識で教えているからではないでしょうか。また、学生がどの科目を選択すれば目指す方向に進めるということを理解できるようなシステムが必要だと考えられます。

共通教育の問題点とは

共通教育科目「観光学講義Ⅰ」(経済学部教授 角村正博)の授業風景
共通教育科目「観光学講義Ⅰ」
(経済学部教授 角村正博)の授業風景

座長: では次にいわゆる教養教育、共通教育についての問題を考えていきたいと思います。全学的な教育課程について考えたとき、基礎教育の部分がかなり大きなウェイトを占めています。本学の場合は共通教育機構という基礎教育課程を設けています。現在は、各学部から選出された各分野主任の教員がそれぞれの科目を担当し、責任を分散しながら共通教育機構を動かすという運営体制を取っています。しかしこうしたシステムのあり方は優れているところも多い反面、問題点もあると考えています。何かご意見があればお聞かせください。

横井教授: 共通教育機構を設置する際に、委員の一人としてプロジェクトに関わった立場から言いますと、各科目をどのように教えるかといったことが議論されないのは問題だと思います。科目の名称のみがあって、その科目の到達目標が示されていない。担当を依頼された先生は、何をしてよいのか分からない。学生も何を学ぶのか分からない。大変問題です。例えば、同じ科目でも文系学部向けか理系学部向けかといったことでも、それぞれに必要とされている知識・技術・態度、またそれを学ぶための基礎力も異なると思いますので、教える内容も変える必要があるでしょう。そうしたこと(到達目標)をきちっと議論したうえで、学生に何を学習するのか明示することが大切なのではないでしょうか。

座長: これまである意味、教員は一国一城の主で、自分たちで何でも決めてきた伝統があるので、なんでもおまかせでやってきたところがあります。ただ確かに、今の時代においては、全体的なコンセンサスを確認したうえで共通教育科目の体系、編成を考えるべきだとは思います。

学長: 1991年の「大学設置基準の大綱化」において、専門教育や教養教育などの壁がなくなってしまいました。本学でも教養科目を教える教員を採用した際に、教養教育科目と専門科目をどのように振り分けるのかといった話し合いが行われないままに、専門科目を兼任してもらう形で現在に至っているのでないかと思われます。兼任していることで、教員が共通教育機構での指導に苦労されている現状を考慮に入れると、教養教育や共通教育科目の専任教員は必要ではないかと考えています。ある大学では、大綱化以降も共通教育、教養教育科目の専門教員を完全になくさずにきているところもあります。本学でも、いわゆる教養教育にあたる共通教育機構のあり方については、再考する必要があるでしょう。

文部科学省委託事業「社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム」の授業風景
文部科学省委託事業
「社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム」
の授業風景

備酒准教授: 現在、総合リハビリテーション学部で社会人に対する再教育を行っているのですが、外部から高名な先生をお呼びして講義を実施した際に、具体的なハウツーに関して述べられる方の講義に対しては社会人の受講生は熱心に聴講し、アンケートを行っても多くの感想や質問を書いています。ところが、今の世の中で起こっているさまざまな問題に対してどう考えるのかを問うような、直接福祉の技術に関わらない概念的な事柄をお話しするような講義に対しては、反応がやや鈍い。これは、物事を深く考える習慣が身に付いていないからだと思われます。そう考えると、大学で何を教えるかといった場合、考える力、教養を育むような教育を施すことが非常に大事であろうと考えます。それは、例えば語学であったり、コミュニケーション能力の開発であったり、論理学であったりといったことではないでしょうか。

座長: まさにその通りで、技術のハウツーだけを教えるのであれば専門学校に行けばよいことです。大学で学ぶということの意味は、やはり幅広い教養を身につけることができるということだと思います。そうした側面をなくしてしまうと大学らしさは半減してしまう。そうした意味では、特に理系学部の場合は、専門教育に偏っている側面が見受けられますので、幅広い教養が修得できる科目を学位プログラムの中にどう取り入れて行くのかということも、大きな課題ではないでしょうか。

横井教授: そうした意味でも、教養(共通)教育においては、教員個人の裁量に全面的に任されるような考え方はしない方がよいと思います。学部(学士課程)の目標設定を明確にして、共通した目標設定に沿ったプログラムを学生に提供すべきでしょう。私はむしろ、薬学部においては、専門教育より教養(共通)教育のほうが大事だと思っています。専門課程に進めば、専門的な知識は叩き込まれますので。これは、今回の中央教育審議会の答申『学士課程教育の教育に向けて』の内容とも一致しています。共通教育、教養教育というのは、自分で進んでやらない限りしっかりした勉強はできません。しかも、学ぶ領域は広範囲に及ぶため、薬学部の場合ですと1、2年次だけでなく6年間に渡って身に付けるつもりで、やっと修得できるのではないかと思います。また、文系学生にとっては自分の専攻領域と職業との関連性のない場合が多いので、幅広い教養を含む学士力を修得することが社会人となった際に生きるための力になっていくものと考えています。そういった意味で、学生には、真の意味での教養(共通)教育をもっと勉強してもらえるようなシステムを考えるべきだと思います。

山上教授: 共通教育機構には、語学・文章表現など大学での基礎教育、卒業する学生ための社会教育、教養的な教育、情報やコンピュータに関するスキル教育と、広範囲の教育メニューが盛り込まれています。ところが、それぞれの学部の卒業単位との関係では、共通教育機構で履修すべき科目が学部によって10から40単位と幅があります。現実問題としては、教養教育、共通教育が実質的にできないと言っても過言ではありません。多くの教員を配置して運営している共通教育機構とのアンバランスを感じます。語学・文章表現、コンピュータなどの基礎教育だけを残して少し機構をスリムにして、教養的な科目は各学部の入門的科目を他の学部の学生に開放するということで対応できるのではないでしょうか。少し発想を変えて、学部教育は教養教育、専門教育は大学院でというアメリカ式のシステムを参考にすれば、副専攻という感覚で、1、2年次の科目には他の学部の学生も受講できる教養的な科目を配置するということも考えられるのではないでしょうか。わざわざ共通教育機構を設けなくても問題は案外解決するかもしれません。

横井教授: ただ、文系学部の学生であれば世界史や日本史などの文系の科目を選択して受験し、薬学部などの理系学部の学生はそうした科目を受験せずに入学してくるわけで、特定の科目に対する理解度にばらつきがあると思われます。私が危惧するのは、最初の段階で理解度に差のある学生が、一緒に同じ講義を受講するのは難しいのではないかという点です。

山上教授: そういった意味では、専門的な課程に進むための基礎教育と、誰が聞いても理解できるような広い教養としての科目とを分けて考える必要があると思います。

座長: 確かに、人文学部などは、専門の授業自体が教養、いわゆるリベラルアーツ的な科目が多いという意味では、学部教育全体が教養のようなものだと言えるかもしれません。学生が教養教育を受けるなかで、強い関心を抱いた分野をさらに深く追究することができるシステムがあってもよいかもしれません。

横井教授: そうした、卒業論文にまでつながるような課題を基礎教育のなかで見つけて、何かをやろうと思えるということが非常に大事なのではないかと思います。教養(共通)教育が、一つひとつの知識を修得するというだけではなく、自分で問題解決していくという力を養えるような場になればよいと思います。

座長: 共通教育機構のあり方を考えた場合、山上教授が提言しておられたように、1、2年次向けの科目は全ての学部で共通にするというような発想も可能かと思います。ただ、リテラシーであるとかキャリア教育であるとかいった科目は、もう少し専門的にできる教員に担当してもらう方がベターでしょう。こうした提案も踏まえて、今後も教育活性化会議で議論を深めて欲しいと考えています。

NEXT

フロントライン 一覧