2011年6月
江戸時代における裁判制度の実際の姿とは- お裁きの真実を追究
厳格な法的根拠を求めた江戸のお裁き
江戸時代の裁判というと、皆さんはどのような想像をするでしょうか。打ち首獄門の厳罰か、あるいはその逆の温情裁きか、お奉行さまのさじ加減ひとつで罪人の運命が決まってしまう――そう考える方が多いかもしれません。けれども当時の記録をひもときますと、そこには現代の裁判にも通じるような、厳格性や論理性を重視し法の原理原則を守ろうと努めていた様子がうかがえます。
こうした裁判の一つの重要なよりどころが、今でいう刑法を中心に、民事法や手続法なども加え十八世紀半ばに編さんされた成文法典『公事方御定書』でした。とりわけ刑事裁判で量刑を決めるに当たっては、『公事方御定書』の条文と過去の裁判例をもとに、その妥当性や法的な整合性について徹底的に議論。老中から下役人まで、裁判に関わる関係者の合議によって結論が導かれていました。これこそが、史料が伝える江戸時代の裁判なのです。
お裁きの現場を支えたスペシャリストの家系
それでは、こうした裁判は、実際はどのようにして行われていたのでしょうか。たとえば江戸の町で見ると、裁判機関の役割を主として担っていたのは、南北二カ所に置かれていた町奉行所でした。ここには奉行の下、与力とその部下である同心たちといった役人が置かれていました。奉行は現代のキャリアないし総合職のようなもので、様々な役職を経験していきます。対して与力と同心は専門職で、原則としてずっと町奉行所に勤務し、その職掌も固定していました。専ら先例の検索にあたる与力もいれば、取り調べを専門とする与力がいるといったように。しかも彼らの仕事は基本的に世襲で、代々家業として継いでいたため、各職務のノウハウが着実に伝承され蓄積されるわけです。こうした専門性が高く能力的にも優れた役人たちによって、当時の裁判は支えられていたのです。
泰平の世にふさわしくないと刑罰を緩める
また、江戸時代の裁判にまつわるイメージとして、厳しい拷問や残酷な刑罰があるかと思います。確かに拷問はあったものの、一般的に考えられているほどやみくもに行われていたわけではなく、それなりに厳しい法的規制がありました。むしろ当時の現場には、拷問に頼らなければ白状させられないのは、役人としての尋問能力が足りない証明である、という考えすらあったくらいです。
刑罰に関してみますと、たとえば6種類ほどあった死刑のうち最も重いのが、鋸挽(のこぎりびき)と呼ばれ、本来は鋸で引き殺すものですが、実際には、首に傷だけつけて血糊を付けた鋸を傍らに置いた状態で罪人を晒し、そのあとに磔(はりつけ)にするというかたちで執行していました。火罪という刑罰も、火で焼き殺すのではなく、実際は煙で燻(いぶ)して死なせる。これは江戸時代中期以降に行われた裁判制度改革の一環で、これまでの刑罰を、戦国時代的な野蛮さを象徴するものと見なし、それから100年以上経た泰平の世の中にはそぐわないものとして緩めようとした現れです。これでも現在の我々から見れば充分残酷に思えますが、当時は当時なりに刑罰の残酷さを問題視し、対処しようとしていたのです。
お裁きの面白さは裁判の過程で行われる議論そのもの
とはいえ、やはり当時の刑罰は苛酷は苛酷。しかし、役人たちはこの刑罰の苛酷さを充分認識していたからこそ、量刑の判断に一層慎重であった、という側面も見て取れます。むろん死刑の執行数も現代よりは多いですが、役人たちも我々同様、死刑を安易に考えていたわけではなく、できれば避けたいと思っていたようです。
たとえば実在した盗賊・鼠小僧次郎吉のケース。彼は幕府の重役など身分の高い人の屋敷ばかりを狙って盗みを働いていました。裁判の際に争点となったのが、盗みに入った場所が身分の高い役人の屋敷であったことで刑を加重できるかどうか。これに対しては、法律上盗み先の状況で量刑は変わるわけではないので、重役だからという理由で超法規的に加重するのは不当だという意見も出て、議論が紛糾しています。結局次郎吉は死刑の判決を下されますが、一連の議論の過程は当時の典型的な例。こうした議論のあり方こそが、この時代の裁判の面白さと言えるでしょう。
幕府法を追究し、さらに広がりのある研究領域へ
私は学部時代に『公事方御定書』に出会ったことがきっかけとなり、江戸時代の法制史、とりわけ幕府の法制度に興味を持ち研究を続けてきました。江戸時代の裁判は、一般的に取り上げられることは多いけれども、とかく誤解されがちです。従って実のところを、学生はもちろんのこと、より多くの方に知ってほしいとの思いから、大学のホームページの中にWeb教材『法制史』というページを作成しました。これは、実際の裁判記録に基づきクイズ形式で当時の判断プロセスを追体験してもらう『ヴァーチャル御白洲(おしらす)』他、江戸時代の法や裁判に関する歴史史料などの紹介を通じて、当時の裁判の興味深い実相をビジュアルに理解してもらうことを目指しています。
最近の研究活動としては、幕府法とは様々な点で対照的な琉球王国の法制度の分析に研究の手を拡げ、とくに『琉球科律』という法典が従来考えられてきたような中国からの影響だけでは説明しきれない独自性を持つことを明らかにしました。その一方で、明治時代に西洋近代法が入ってきた後、江戸までの古い法制度を明治の学者たちがいかなるものとして理解したかという学問史研究にも着手しています。今後は近世日本を中心に据えながら、一層多様な法的現象について着目し、社会における法のあり方を追究していきたいと思っています。
和仁准教授は『ヴァーチャル御白洲』をはじめ、日本法制史を分かりやすくウェブ上で解説するさまざまなコンテンツを作成
プロフィール
東京都生まれ。東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。東京大学大学院法学政治学研究科基礎法学専攻博士課程を単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員などを経て、2008年より神戸学院大学法学部に勤務。
主な研究課題
- 近世刑事法史・裁判制度史
- 近世琉球法制史
- 近代初期日本の法学史・史学史
Focus on Lab ―研究室リポート―
生の史料を素材としたウェブコンテンツ作成に学生が参加
独自のアイディアを盛り込み企画の充実を図る
現在、和仁かや准教授が監修・制作を行っている『ヴァーチャル御白洲』は、ゼミ生にも協力してもらって新バージョンを作成中です。「事例紹介のページで、現状はテキストに加えて影絵風のイメージカットを使用しながら説明していますが、今度のバージョンは学生からのアイディアもあり、事件を再現した動画も使ってみることになりました。『御仕置例類集』という当時の刑事裁判記録、すなわち生の歴史史料を皆で読み解き、これをどう再現するかを議論した上で、学生たちが登場人物を演じ、小道具なども考えて準備しています。また、事件とその判断に関する解説も書いてもらっています。彼らには、一般公開するのだから誰が見ても恥ずかしくないレベルのものを作りましょうねと、ハッパをかけているところです」とのこと。
また、このコンテンツの一環として、兵庫県は多種多彩な地域を擁していることに着目し、その歴史を紹介する試みも行っています。第一弾としてたつの市を取り上げた際には、出身者のゼミ生にも案内役として協力をお願いし、サイト上にも登場してもらいました。「法学部というと、ひたすら六法を勉強して法律家を目指すところというイメージがあるかもしれませんが、そもそも法は社会あってのものです。学生には、社会のさまざまな側面に目を向けて、こうした地域の歴史も含めて幅広く興味を持って学んでほしいと思います」。